『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.333

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正兵衞殘り、私に言葉をかけ申候、其場に佐伯權之助いられ、言葉をかわ, し申候、私は敵に逢申所迄可參と存參候所、案のことく先に敵見へ申候, 敵間遠く候故、田の中を直に乘越申候所に、田より乘上候刻、しおできれ, 見分不申にけかゝり申候故、道より東の方へ乘よけ、大坂方へ參時、山路, 先にて敵を槍附候得共、あをはものゆへ頭は不取捨申候、先へ行敵を引, は、味方悉く崩れ掛申候間、馬上にて槍を横に仕、下地致し見候得共、中々, ふ、これを藤堂の四槍といふ、, 返し、味方又崩れたるに、阪井直義、堀信家、岡本安貞、中小路宗久踏留りて戰, 落馬仕候間、尻かいを能仕候内に遲く成申候、〓二町計のり出し參候へ, 敵將眞田幸村と、既に陣亡し、毛利勝永も退きたるに、猶も大銃を放ち取て, 間、名乘候て、一所に大坂〓搆へ柵際迄詰申、右少も僞無御坐候, 道筋堤に、中小路助之進殘り居申候、道にて堀伊織に行逢、すれたち申候、, り味方追立參候間、道東脇へ乘上よけ居申候間、見候へは、敵不參候に付、, 馬を乘出參候處に、脇坂淡路殿御出候て、我等に名を名乘候へと御申候, 岡本五郎左衞門家乘五月七日、大坂へ掛り口之時、道を道に參候へは, 元和元年五月七日, 藤堂ノ四, 中小路宗, ヲ破ル, 久堀信家, 毛利勝永, 再ビ東軍, ト共ニ進, 槍, 岡本安貞, 三三三

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  • 藤堂ノ四
  • 中小路宗
  • ヲ破ル
  • 久堀信家
  • 毛利勝永
  • 再ビ東軍
  • ト共ニ進
  • 岡本安貞

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  • 三三三

注記 (26)

  • 637,710,73,2139正兵衞殘り、私に言葉をかけ申候、其場に佐伯權之助いられ、言葉をかわ
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