『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.518

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太夫, かく旗本まて城に押詰らるゝ時、はや城き陷りぬ、興國公船場に陣をすへ、, 郎等共に討て取る首九つ也、今日諸所にて首をとる輩には、梶浦大隅家來, おくれしたるのみならす、首級迄も少からは、何を以て關東への御申譯有, 切伏、首かき落す、甲を着されは籠手を添て本陣にまいらす、彼かたき戸口, 共首十三、堀金覺太夫, 藤平六郎見て申にるは、他家の手き粉骨を盡し働高名樣々なり、此方は手, を出たる時、横拂にしたる太刀、藤左衞門か腰車に當りたれは小疵を負ふ, 籠り、大勢戸口に集り、彼武者戸口を拂ひ切出るを、藤左衞門出しもやらに, 落人とも崩れ出るを三四町追討、首少々討取人數を治んとせらるゝを、内, 足輕を左右に進め乘出す、此詞に勵され、我も〳〵と追討す、平六自身足輕, へき、此平六き息の限り追討、雜人原ニても討取首數にせんとて、二十人の, 首一生捕一人、梶浦兵左衞門、門田喜右衞門、富, 河口三右衞門、岩根九郎次郎、佐々善左衞門、岡田庄, 田庄兵衞、那須半兵衞、中村四郎兵衞、中村忠左衞門、惠藤彦左衞門、片岡次郎, 兵衞、須加與八郎、杉浦次左衞門、山脇市太夫、山脇三郎兵衞、山脇藤右衞門、山, 脇又右衞門、上嶋彦兵衞、西村小四兵衞、福島善兵衞、古澤源兵衞、井上庄兵衞, 次郎太夫皆白母衣, 忠左衞門、彦左衞門, 之丞祖, 櫻井半, ニ陣ス, 内藤平六, 玄隆船場, 郎等ノ追, 撃, 元和元年五月七日, 五一八

割注

  • 次郎太夫皆白母衣
  • 忠左衞門、彦左衞門
  • 之丞祖
  • 櫻井半

頭注

  • ニ陣ス
  • 内藤平六
  • 玄隆船場
  • 郎等ノ追

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 五一八

注記 (28)

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