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内三郎右衞門を討取、吉田又左衞門き八尾ニ〓首者翌日京橋口にて首五, 藏助を討、其外首六ツ取たるか、翌日三郎右衞門討死す、明神忠右衞門は山, へ行者も有、山林嶮阻を凌きて行も有、其中に被捕られて罪せらるゝも有, 門を討取、遠藤長兵衞は桑名彌次兵衞か首を取、吉田三郎右衞門は太田内, 忍行を、所の者共見咎怪しめて搦捕へぬ、其外土佐の住人とも船にて大坂, ツ取にるか、深手を負て陣中に臥けるを、一族共助けて阿州へ下りたると, るか、守刀を拔て二人の子を刺殺し、我も自害して失にたり、哀共中々譬く, に故郷へは歸るへき、如何に成なん我身そと、船底に倒伏し悶へ戀れ歎け, ける、彼女房是を聞て胸塞り、今き何を頼に大坂へは登るへき、又誰を便り, いはん樣そなき、な字利の住人近藤三休も大坂に籠城せしを聞しニ、國人, の兵壹人も不殘討死有り、當國の士衆數多手柄を致されしと勢ひ掛て司, れとも、退て不覺をとるき無かりたり、中にも松田與左衞門は藤堂仁右衞, 特也、かやうに道を守義を立る上き、爭か些と憶すへき、進て高名するはあ, 彼妻子を捕へて禁獄す、幡多郡伊与野の庄屋右京助一族を引具船に取乘, しかとも、身命を不顧、父母妻子を捨て罪地に臨み行けるは、前代未聞の奇, 功ノ士, 盛親組戰, 元和元年五月六日, 一一一五
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- 功ノ士
- 盛親組戰
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- 元和元年五月六日
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- 一一一五
注記 (19)
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