『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.778

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ひたと相討〓と呼候へ共、聞付す先へ參候ゆへ、跡にて此首を取候と云、三, と爭人又多し、山中城の一番乘り川毛惣左衞門、藪内匠、搦手ゟは家康公御, 兩御所樣上聞に達し、御感淺からさりき、誠に孟之反の殿して馬の不前を, 方敵を鎗付候を見て相討と言葉を懸るに、其方は其〓臥たる敵を捨、先へ, 首には打取たると云者二人三人有、又勝れたる働あるにも、其働は我なり, 田彦左衞門鑓付たる首にて候、相討そと呼かけ候へとも、其儘捨て通候故、, 通に付、跡ゟ相討なるそと四五度呼かけ候へとも、見かへりもをす參候付, 陣の時、九月十四日、株瀬川にて中村一學、有馬玄蕃なとゝ宇喜多中納言秀, 無是非かの敵乃首を取候と云、彦左衞門は、猶不覺候とて座を立去ぬ、此段, 語り、馮異か大樹乃下に居て功を不爭にも及へき、今世間を見聞に、能兵の, 四、三十、彼黒田彦左衞門を呼、是を聞は、中〳〵不存と答、三枝は黒田向て、其, 内戸田左門、青山虎之介なりしか、渡邊勘兵衞一人か名のみ高し、關ケ原御, 十郎を被下、今度手柄高名の御吟味有、三枝勘兵衞申候は、我等取候首は、黒, 捨たるをは、三枝勘兵衞打取、扨遠州は病死ゆへ、館林へ久世三四郎、坂部三, 家、石田治部とせり合の時大枋方に白品枝さしたる武者、初より終迄師場, 元和元年五月七日, 七七八

  • 元和元年五月七日

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