『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.788

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にて御詮儀の時如此候、御書物ニ書留申候分也、, 處也、掃部殿に替り候樣ニとの上使も有之候、即刻信濃守殿御嫡内匠殿父, 掃部殿ゟは櫛之齒を挽か如く、此方之人數者、今朝ゟ散々相草臥候間、急ニ, 候間、一溜りもなく、信濃殿、内匠殿戰死也、内匠殿之舍弟右近殿は、當年十八, 其由承り、早々乘歸り候間首數少也、其日の敵の大將は、毛利豐前とかや、此, 御替被成候樣ニとの使故、備之亂るゝをも顧みず押懸り候得は、掃部殿之, 兵衞も首捕申候、鼻ニ手負候、大熊十郎右衞門、勝野求馬助、伊藤作右衞門、右, 子二千五百之勢ニ〓、右之沼を廻り敵合也、急ニ替候樣ニとの上使之上ニ, 外能高名討死手負數多有之、書落しも有之候、然とも能働の分はのり松本, 何れも首捕申候、兩殿の家中へ討取申首數四拾七、兩殿御討死故、先手衆も, 人數は、早不殘崩れ散候、勝ニ乘備固き敵ニ、小笠原殿之勢備を亂して懸り, 歳、皆々之沼を廻り候をもとかしく思召、手勢百計沼ニ打入、直ニ押懸らん, 殿へ、急ニ御助力有之候樣ニとの使也、小笠原殿陣場ゟは、中ニ沼を隔〓る, あはなきか、我等も首捕申たりと言葉をかけて、本道を乘通り申候、上條加, 〔淺川聞書〕乾大坂御陣大手口井伊掃部殿御難義ニ及ひ、小笠原信濃守, リテ毛利, ノ請ニヨ, 忠脩直孝, 勝永二當, 忠眞ノ奮, 鬪, ル, 元和元年五月七日, 七八八

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  • リテ毛利
  • ノ請ニヨ
  • 忠脩直孝
  • 勝永二當
  • 忠眞ノ奮

  • 元和元年五月七日

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  • 七八八

注記 (24)

  • 1174,648,61,1435にて御詮儀の時如此候、御書物ニ書留申候分也、
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