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の石垣の方を見やり候へは、廿人計の女中乃中に、白地に葵の丸のちらし, き、拔身の長道具を携へ走り廻り候ニ付御供の女中を初め、身を縮めてあ, 堀内主水と申者、新宮左馬助なと一所に、冬陣の頃より城中へ罷在候か、右, 付、御供の女中も口々に、修理被申上候通りに被遊被進御尤ニ候よし申ニ, るきつ手、高石垣の下へ寄集り、御姫樣を中に取包居候處ニ、紀州熊野士に, 之候所に、大野修理御介抱申女中に向ひ被申けるは、最早如此の次第ニ成, 付、夫より城外へ御出被遊候へ共、其節大臺所は燒上り、城兵共うろたへ騷, 申たる儀ニ候へは、御前樣には御城外へ御出被遊、大御所樣へ御願被仰上, の矢倉より、芦田曲輪の矢倉へ取入被申候と也、其節御臺所ニも御同道有, 秀頼樣御父子の御身命御恙無御座樣ニ御取計ひ被遊被進可然との義に, 石當國御領と成る、, 族にて、元祿年中迄、鵜殿地の代官也、新宮矢倉明神の山を砦と唱ふ、是は鵜, ゟ永代御朱印頂戴す、此御朱印新宮社家鈴木眞學坊所持す、眞學は鵜殿一, 殿孫三郎か砦也とぞ、鵜殿石見守が名跡、元祿十三年に斷絶、領地千五百拾, 秀頼公は一先つ天守へ上られ、程なく下り給ひて、月見, 〔落穗集〕, 十〇上, 略, ○上, 元和元年五月七日, 九九五
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- 十〇上
- 略
- ○上
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- 元和元年五月七日
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- 九九五
注記 (21)
- 281,632,60,2212の石垣の方を見やり候へは、廿人計の女中乃中に、白地に葵の丸のちらし
- 627,630,58,2215き、拔身の長道具を携へ走り廻り候ニ付御供の女中を初め、身を縮めてあ
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