『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.325

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入道道伴物語せしと云ふ人あり、されど政事録は當時の日記、創業記并, 御ゆるしニ預り、それゟ方々へちり〳〵ニ罷成り候、私事も、右之人數ニて, 思召れ候、右のものともは、妙心寺ゟ何方へも參り度所へ參り居り可申由、, 被下候て切腹可致由申出候へとも、兩御所樣上意には、大閤ゟ御普代のも, 民部少輔一重にはあらず、其折節長實に對面に及びしよし、村越長門守, 寺へ參り、海山和尚のしめし請、二條御城へ、書付右面々の名字を印、御〓使, 居り申候へとも、終ニ御さのし被出、耻辱に及可申と存、内々頼申故、京妙心, 味の時、一命をたすけ置れ候ニ、又此度秀頼公御謀叛に御味方申事、不屆ニ, のとも、秀頼公御せんとを見屆候事尤ニ被思召候、其内ニも大野修理なと, の〓くニ、よしなき事共すゝめ申ものとも、其上諸牢人は、石田治部少輔一, に考異も共に實録なり、此二書に青木御使たりと見えて伊東が事見え, 按ずるに、元和元年三月、大坂より駿府への御使は丹後守長實なり、青木, 大坂落城の後、赤座内膳、伊藤丹後、岩佐右近、其外御小性十人計方々ニ隱れ, ず、覺束なし、, 〔大坂御陣山口休菴咄〕赤座内膳伊藤丹後、岩佐右近妙心寺へ行候事, 受ケテ切, リ檢使ヲ, ノ示ニヨ, 腹セント, 長次妙心, 寺二匿ル, トノ説, 之ヲ赦ス, 家康秀忠, 海山和尚, ス, 元和元年五月九日, 三二五

頭注

  • 受ケテ切
  • リ檢使ヲ
  • ノ示ニヨ
  • 腹セント
  • 長次妙心
  • 寺二匿ル
  • トノ説
  • 之ヲ赦ス
  • 家康秀忠
  • 海山和尚

  • 元和元年五月九日

ノンブル

  • 三二五

注記 (28)

  • 1697,697,67,2162入道道伴物語せしと云ふ人あり、されど政事録は當時の日記、創業記并
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