『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.633

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と云々、, 神衣ノ紋割菱ヲ以家ノ紋トシ給ヘリ、徳川家ハ、御代々鞆繪ヲ紋トシ玉フ, シ、一ツ葵ヲ以紋トシ玉フ、三男新羅三郎義光ハ、新羅明神ノ冠子トナシ、其, 丸は神君御末年の時より附させ給ふよし, 其神紋鞆繪ヲ籏ノ紋トシ玉ヒ、次男賀茂次郎義綱ハ、賀茂明神ノ冠子トナ, 處、松平太郎左衞門尉親氏主、三州賀茂郡入御ノ後、御子ヲ賀茂ノ朝臣ト稱, 鎭守府將軍伊豫守頼義ノ御子嫡男八幡太郎義家ハ、八幡宮ノ氏子トシテ、, 家へ傳へ給ひし、親氏公三州加茂郡入御の後、御威勢も盛んに、御子數多生, の御裔新田家、大中黒の御紋は根本幕なり、鞆繪を御家の秘紋として徳川, 〔徳川世記〕葵之御紋之傳, に書なし給ひて、御一統の御旗幕に付させたまふ、これ葵鞆繪の御紋なり, れさせ給ひし郡名により、加茂の朝臣と稱し、御家の鞆繪の御紋を葵〓, しを旗の紋とし給ふ、三男義光をは、三井寺の新羅明神の鳥帽子子にな, そらへ、新羅三郎と稱し、彼神衣の御紋を以て割菱〓〓を紋とし給ふ、義家, を紋とし給ふ、義家, ンコト、長享二年七月二十二, ○松平信光賀茂朝臣ト稱セ, 日ノ條, ニ見ユ、, 其子ヲシ, テ賀茂ヲ, 稱セシメ, 葵ヲ鞆繪, ニ描キテ, 親氏郡名, 茂ヲ稱ス, 紋トセリ, 松平親氏, ニヨリ賀, トノ説, トノ説, 元和二年四月十七日, 六三三

割注

  • ンコト、長享二年七月二十二
  • ○松平信光賀茂朝臣ト稱セ
  • 日ノ條
  • ニ見ユ、

頭注

  • 其子ヲシ
  • テ賀茂ヲ
  • 稱セシメ
  • 葵ヲ鞆繪
  • ニ描キテ
  • 親氏郡名
  • 茂ヲ稱ス
  • 紋トセリ
  • 松平親氏
  • ニヨリ賀
  • トノ説

図版

  • 元和二年四月十七日
  • 六三三

注記 (33)

  • 1218,646,50,212と云々、
  • 393,636,70,2224神衣ノ紋割菱ヲ以家ノ紋トシ給ヘリ、徳川家ハ、御代々鞆繪ヲ紋トシ玉フ
  • 510,650,72,2223シ、一ツ葵ヲ以紋トシ玉フ、三男新羅三郎義光ハ、新羅明神ノ冠子トナシ、其
  • 1099,711,61,1301丸は神君御末年の時より附させ給ふよし
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