『大日本史料』 12編 31 元和五年七月~同年十月 p.534

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窩此詩を賦して贈りしといふ、竊に詩の意を考ふに、杏壇春暮事吟遊と, は、杏壇は儒家といふが如く、其字莊子に出づ、孔子遊緇帷之林、休坐乎杏, けし問得和尚に非ざれば、當時惺窩の眼目にて、關西有孔丘と過稱すべ, 寫し、珍祕せし故、彼等を尊稱したる語意明白なり、是四書訓點本等を授, となり、是故人と交遊して、新しき淺々の交に非ざるをいふ、三生石上舊, は伯起、當時の名儒なり、時人關西夫子揚伯起といひたる故事ある故、是, を轉用せしなり、孔丘とは、問得和尚等を稱贊していへるなり、時に惺窩、, からず、傾蓋相逢非〓遁とは、傾蓋の字は孔子家語に出づ、孔子之〓、遭程, 雅の事に興を託して遊賞するなり、今日關西有孔丘とは、後漢の揚震字, 風流とは、深き宿縁ありて、一旦の交義に非るをいふ、舊唐書曰、沙門圓澤, 彼桂庵、文之等が四書訓點本及ひ家法和點等を問得和尚より借得て繕, 壇之上、弟子讀書、孔子絃歌と是なり、事吟遊とは、春暮和暖の氣候にて、文, 與隱士李源厚善、偶相率遊峨眉山、見婦人錦襠負罌而汲者、澤望而泣、源驚, 子於塗、傾蓋而語終日と、此故事を用ゆるなり、〓近は期せずして逢ふこ, 問故、澤曰、婦人孕三載矣、遲吾爲之子、今既見之無可逃者、公當以符呪助我, 元和五年九月十二日, 五三四

  • 元和五年九月十二日

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  • 五三四

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