『維新史』 維新史 1 p.91

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ひ、我が國を飽くまでも東夷としてゐた。, 泰伯の子孫とし、或は天照大神が大日靈貴尊と稱せられたことから、大日如來に, とある人口に膾炙せる記事も、闇齋の國體觀よりすれば當然であつたのである。, 徳太子の隋に贈つた國書に、一を日出處、一を日沒處とあるを歎美し、國體の重ん, 闇齋の思想は門人淺見綱齋によつて、更に的確に紹述せられた。〓齋は平素, 關東の地を踏まず、又諸侯に仕へず、貧困は甚だしかつたが、終世處士を以て甘ん, らなかつた。「先哲叢談」に, 該當せしめてゐた本地垂跡思想を反駁してゐるが、畢竟國粹思想の發露に外な, 孔孟之道者、爲之如何。弟子咸不能答。曰、小子不知所爲、願聞其説。曰、不幸若, 嘗問群弟子曰、方今彼邦、以孔子爲大將、孟子爲副將、率騎數萬、來攻我邦、則吾黨學, 斯の時に當り、山崎闇齋は我が國を神國・本朝と稱し、支那を西土・西地と呼び、聖, ずべきを説いた。闇齋がかの「文會筆録」に於いて、世人が往々日本人を以て呉の, じ、常に鐔に赤心報國の四字を刻せる刀を帶び、一朝時到らば囘天の義兵を擧げ, 逢此厄、則吾黨身被堅手執鋭與之一戰、擒孔孟以報國恩。此即孔孟之道也, の國體觀, 淺見綱齋, 山崎闇齋, の織見, 第二章尊王思想の發達第二節國體觀念の覺醒と尊王論の勃興, 九一

頭注

  • の國體觀
  • 淺見綱齋
  • 山崎闇齋
  • の織見

  • 第二章尊王思想の發達第二節國體觀念の覺醒と尊王論の勃興

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  • 九一

注記 (20)

  • 1845,563,57,1134ひ、我が國を飽くまでも東夷としてゐた。
  • 1379,557,58,2268泰伯の子孫とし、或は天照大神が大日靈貴尊と稱せられたことから、大日如來に
  • 699,561,57,2288とある人口に膾炙せる記事も、闇齋の國體觀よりすれば當然であつたのである。
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