『維新史』 維新史 1 p.86

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を銘記すべきである, 望楠軒の系統よりは梅田雲濱, じ、正保元年を以て陽明學に歸し、實踐躬行に範を垂れて、近江聖人の名を擅にし, た。熊澤伯繼, して尚齋の流よりは山縣大貳, られて、「大日本史」の編修に從事し、水戸學の基を開いた。又觀瀾と同じく〓齋門, 道を説いて治績があり、後、京都に出でて學を講じ、貞享四年政務改革に關する封, 者は、近江の中江藤樹である。藤樹は初め未子學を學んだが、其の學説に疑を生, に若林強齋があり、神道説を葦齋に承けて、京都堺町に家塾望楠軒を開いた。而, 朱子學に稍後れて、王陽明の學説を奉ずる者が現れた。其の説を奉じた先驅, が出た。此の事實より考ふれば、闇齋學の, 〓出で、葦齋の流よりは竹内式部, が出で、闇齋門下たる桑名松雲の流より出た栗山潛鋒愿と共に水戸藩に聘せ, 世に與へた影響が如何に顯著であり、維新史上に光輝ある地位を占めてゐたか, 事を幕府に上つて忌諱に觸れ、下總の古河に幽屏せられて、元祿四年此の地で歿, があつて、神道方面の學説を繼承した。而して〓齋の流よりは三宅觀瀾, は其の門に學び、備前藩主池田光政に仕へて、利用・厚生・經濟の, 現れ、更に, 葦齋, 良介, 蕃山, 源二郎, 定明, 明, 持, 緯, 英, 昌, 貞, 敬, 正, 水戸學の, 基礎, と熊澤伯, 中江藤樹, 〓, 第一編尊王論の發達, 八六

割注

  • 良介
  • 蕃山
  • 源二郎
  • 定明

頭注

  • 水戸學の
  • 基礎
  • と熊澤伯
  • 中江藤樹

  • 第一編尊王論の發達

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  • 八六

注記 (38)

  • 945,587,53,573を銘記すべきである
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