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二維新前の諸學派, く、門に淺見〓齋, 朱子學派に南學と稱せられる一派がある。起原は古くて南村梅軒に依つて, 後、土佐の吸江寺に移つて時中に學んだのであるが、程朱の學に心醉して、髮を蓄, て極めて有意義のことであつた。闇齋は初め叡山に學び、次いで妙心寺に入り、, 加流を開くに及び、三傑は其の門を去り、後、〓齋のみは復歸し、他に谷秦山, は講筵聽聞を廣く士庶にも許したので、昌平〓は幕末に至つて、愈〻其の盛を見る, ・玉木, へて儒に歸し、京都に還つて正保三年を以て講舍を開いた。就いて學ぶ者が多, 節を貴び、師道の嚴正を以て知られ、時中の門よりは小倉三省・野中兼山, 等が輩出した。而して同門より闇齋を出したことが、當代の朱子學とし, 土佐に創められ、谷時中, に依つて大成せられたものである。此の派は特に氣, て正式に官學と定め、昌平坂學問所と稱せしめた。而して天保十二年十一月に, ・佐藤直方・三宅尚齋の三傑を出したが、闇齋が神道に歸して垂, に至つたのである。, 齋, 山崎闇, 敬義, 繼, 嘉、, 遠, 有, 素, 正, 安, 良, 重, 山崎闇齋, 南學, 第二章尊王思想の發達第一節儒學國學の興隆, 八五
割注
- 敬義
- 繼
- 嘉、
- 遠
- 有
- 素
- 正
- 安
- 良
- 重
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- 山崎闇齋
- 南學
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- 第二章尊王思想の發達第一節儒學國學の興隆
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- 八五
注記 (32)
- 1372,976,55,582二維新前の諸學派
- 478,574,54,458く、門に淺見〓齋
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- 698,568,62,2272後、土佐の吸江寺に移つて時中に學んだのであるが、程朱の學に心醉して、髮を蓄
- 808,562,62,2288て極めて有意義のことであつた。闇齋は初め叡山に學び、次いで妙心寺に入り、
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- 1711,577,59,2244は講筵聽聞を廣く士庶にも許したので、昌平〓は幕末に至つて、愈〻其の盛を見る
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- 588,584,62,2254へて儒に歸し、京都に還つて正保三年を以て講舍を開いた。就いて學ぶ者が多
- 1026,571,60,1988節を貴び、師道の嚴正を以て知られ、時中の門よりは小倉三省・野中兼山
- 915,764,62,2073等が輩出した。而して同門より闇齋を出したことが、當代の朱子學とし
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