『維新史』 維新史 1 p.130

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たのは、紀の編者は天武天皇の皇子舍人親王であつたが故に、直筆するを得なか, した事は、全く光圀の英斷に基づくものであり、其の後明治三年七月に至り、大友, られた。然るに山崎闇齋は「倭鑑」に於いて、後醍醐紀に光嚴・光明紀を、後村上紀に, 皇子に弘文天皇の御諡號を贈られることになつたのである。, 編するに當り、妄りに南北兩朝の正閏を決すべからずと論じたが、子の鵞峰は「日, つたのであるとした。而して神功皇后を后妃傳に收め、大友皇子を天皇紀に列, 本王代一覽」に於いて、却つて北朝正統説を唱へ、「本朝通鑑」は此の趣旨の下に編せ, 蓋し南北兩朝の何れが正統なるべきかに就いては、室町時代は固より、江戸初期, 以下の門人も亦師説を奉じ、栗山潛鋒・三宅觀瀾等闇齋門の學者が水戸に聘せら, に入つても、北朝の正統を唱ふる者が多く、林羅山は幕命を奉じて「本朝編年録」を, 光明・崇光・後光嚴・後圓融・後小松紀を附載して、明かに南朝正統説を立て、淺見〓齋, 第三の南朝正統論は、「大日本史」の史論中最も重大なものといふべきである。, れて、「大日本史」をして南朝正統説を保持せしめたのである。而して潛鋒は神器, の存するところを以て正統となすべしと云ひ(保建大記)、之に對して觀瀾は正統, 論, 南朝正統, 第一編尊王論の發達, 一三〇

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  • 南朝正統

  • 第一編尊王論の發達

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  • 一三〇

注記 (18)

  • 1703,585,60,2280たのは、紀の編者は天武天皇の皇子舍人親王であつたが故に、直筆するを得なか
  • 1482,588,61,2278した事は、全く光圀の英斷に基づくものであり、其の後明治三年七月に至り、大友
  • 698,587,59,2278られた。然るに山崎闇齋は「倭鑑」に於いて、後醍醐紀に光嚴・光明紀を、後村上紀に
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