『大日本史料』 12編 34 元和六年七月~同年閏十二月 p.403

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申上候は、櫻乃時分こ而御座候間、於福昌寺詩歌乃御會被遊間敷哉之由, 申掛、御ひらた無之候はゝ、殿樣も誰にてもあれ、しゆちやうにて打倒し, 詩歌の儀は存不申候間、御出候はゝ、弟子共を集め、問答をい〓し、掛御目, 被遊由、大仙へ申候へは、大仙申候は、御出被遊候はゝ、弟子を集め問答を, 候間、一度大仙え耻をあたゑんと思われけるら、或時、中納言樣え文之被, 可申与申候由被申上候、中納言樣被聞召上、大仙不屆之儀を申候とて、別, は、於爰元、中納言樣詩歌乃御會被遊筈之由被申候、大仙被申候は、禪學に, も、法問は大仙に不及によつて、大仙より度々つめとかし、恥辱をあたへ, 被申上候得は、可被遊旨御意候、夫ニ付、文之福昌寺へ參り、大仙え被申候, て御腹立被遊、大仙え遠流被仰付候處こ、福昌寺の儀は遠流仕候儀無之, 可申由、被申候、文之罷歸り、中納言樣え讒言被申上候は、於福昌寺詩歌可, に甞て住職せしことありしとぞ、, 之和尚と不和によつて也、文之はさいら宗ニ而、世に双なお博學なれと, 〔稱名墓志〕, 〔薩州舊傳記〕一一福昌寺乃住持大仙和尚自害の事は、大龍寺の住持文, 元和元年九月三十日, 文之和尚, 加治木安國寺客殿の西にあり、, ○下略、玄昌ノ事蹟ニカヽル〓, 付大龍寺に詳なり、, 文之和尚の傳は、本, 釋氏の部, 三, 釋, 島津家久, 玄昌福昌, 寺大仙ヲ, ニ讒スト, ノ説, 四〇三

割注

  • 加治木安國寺客殿の西にあり、
  • ○下略、玄昌ノ事蹟ニカヽル〓
  • 付大龍寺に詳なり、
  • 文之和尚の傳は、本
  • 釋氏の部

頭注

  • 島津家久
  • 玄昌福昌
  • 寺大仙ヲ
  • ニ讒スト
  • ノ説

ノンブル

  • 四〇三

注記 (30)

  • 1204,710,62,2125申上候は、櫻乃時分こ而御座候間、於福昌寺詩歌乃御會被遊間敷哉之由
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