『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.847

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方丈炎上の刻、御代々の御位牌不殘御燒却の節、秀康公の御位牌も、御一同, 候は、如何樣の譯にて有之候や、答て曰, なから、岡崎より駿府へ立歸り、直に御城へ上り候處に、權現樣には、折節圍, 碁を被遊被戌御座候處へ局參り、秀康公御逝去の由申上、件の御書出を差, 上候へは、殊の外なる御愁傷にて、局儀女性の身にて、なけきの中に心付、御, に御燒失候へ共、御公儀より御代々の御位牌御同然に御建かへ被遊候は、, にて、増上寺に御位牌を御建被遊、御佛參被遊候、依之、常憲院樣御代、増上寺, 元來台徳院樣の上意を以、御建置被遊たる故の儀と承り傳へ候, たてのよし申傳へ候、秀康公、御とし三十四歳にて御逝去被遊候也, 驛におゐて、去ル四月八日、秀康公御逝去被成候との儀を承り、泪にむせひ, 書出を返上致し候と上意のよし申傳へ候、但、これは局のいはれさる分別, 砌台徳院樣にも、秀康公の御事を御聞被遊、御力落に被爲思召候との上意, その, 問て曰、秀康公の御宗旨は、禪宗とも申、又は淨土宗にて御座候共沙汰仕り, 〔落穗集追加〕四制外の家の事, 事蹟、及ビ家臣殉, ○中略、孝顯寺へ葬送、及ビ運, 正寺へ改葬ノ事ニ係カル, 死ノ事二係カル、, ○中略, 忠昌ノ, 秀康ノ宗, 旨, 慶長十二年閏四月八日, 八四七

割注

  • 事蹟、及ビ家臣殉
  • ○中略、孝顯寺へ葬送、及ビ運
  • 正寺へ改葬ノ事ニ係カル
  • 死ノ事二係カル、
  • ○中略
  • 忠昌ノ

頭注

  • 秀康ノ宗

  • 慶長十二年閏四月八日

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  • 八四七

注記 (25)

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