『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.277

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候やうのさいかく可被仕候、此段〻書中このへかたく候事、, 一此度は、いつかたへも書状不遣候、與法計へ遣候、可被得其意事、, 右之趣中遣候間、もしの事あら者、兵太と相談せられ、子息の事きもをいり、我こうけ取, 櫻井少左衞門下こ、大坂川口よりの書状披見候、, 由被申越候、日比重ことうかんなく候つる間、子息の事うけとり可申候、就其仙兵太へも, 已上、, 候、これは、まんひやうゑんあかり候事御無用と被申候ニ付而、かくのことくにて御座候, 事、, さうてつを、しなのゝすはにみつしま御座候、それへ御なかしなされ、御けつしよなされ, 一興安法印御せんかん被成、信州へ被遣由候、それニ付自然の事もあら者、子息之事を頼之, 〔細川家史料〕〇大日本近世史料, 〓、其意を用意不被申、登城被仕候儀、彌こ不屆由御意被成、右之仕合ニ被仰付候由申候、, 〔細川家史料〕, 二年三月十七日ノ條ニ收ムベキモ、今、姑ク茲ニ收ム、, ○上下略、三月廿二日附生駒木工充東覺左衞門披露状、, ○上下略、三月廿二日附生駒木工充柴田勝正披露状、二, 年三月十七日ノ條ニ收ムベキモ、今、姑ク茲ニ收ム、, 子宗琢ノ身, 細川忠興ニ, ヲ托ス, 闕所ヲ受ク, 元和八年十一月十八日, 二七七

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  • 二年三月十七日ノ條ニ收ムベキモ、今、姑ク茲ニ收ム、
  • ○上下略、三月廿二日附生駒木工充東覺左衞門披露状、
  • ○上下略、三月廿二日附生駒木工充柴田勝正披露状、二
  • 年三月十七日ノ條ニ收ムベキモ、今、姑ク茲ニ收ム、

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  • 子宗琢ノ身
  • 細川忠興ニ
  • ヲ托ス
  • 闕所ヲ受ク

  • 元和八年十一月十八日

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  • 二七七

注記 (23)

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