『大日本維新史料 編年之部』 1編 6 弘化4年6月~同年8月10日 p.590

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ニ致し、靜謐成程らろしく、右ニ付、書物披見いたし候以來は、御密同心も指出不申、先日, 小石川内し風聞爲承候所、最早左樣し仕事は不仕、家中難澁、中納言樣御登城と申所斗、主, ノ嫌疑、將ニ解カレントシ、久シク罪ニ在リシ士民モ亦赦免セラレントスルニ方リ、, と奉存候、伊東樣・杉金初メ、一生懸命し場合ニ御坐候間、左樣御承知可被下候、如此御坐, 之抔、國元にて被申候ては、誠ニ骨折候かへも無之由、併只今大切み場合ニ御坐候間、極密, 候處、水國より御聞候へは、相分り可申との御挨拶ニ御坐候由、誠ニ大切し場合ニ御坐候、, 張致居候間、猶此節御國許ニな、何る相替り候儀も、可有之おと存候事ニ御坐候間、御聞無, ○是頃、幕府ハ、水戸藩ノ内政ニ意ヲ留メ、其事情ヲ探知セシニ依リ、前藩主徳川齊昭, 八月廿三日, 伊勢守殿立合ニる、披見致候由すニ承り候事、何れ右樣こ左相成候間、別る靜謐乍恐可然, 之哉と、御尋御坐候由、鐵四郎樣御挨拶ニし、更ニ承り不申、何事ニ御坐候哉と、御尋被成, 外へ手入等は必宜敷無之由、此間御指出し御書物并先日御指出書類共、御目付十人、阿部, 曾テ齊昭ノ在世ヲ喜バザルノ徒ハ、之ヲ恐レ、〓リニ、〓語浮説ヲ要路ノ間ニ放チ、隱, 候、, 八月廿三日平三郎, 庄左衞門樣, 平三郎, 弘化四年七月是月, 五九〇

  • 弘化四年七月是月

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  • 五九〇

注記 (19)

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