『大日本維新史料 編年之部』 2編 2 安政1年1月21日~同年1月晦日 p.214

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〓當分樣子になは、急御登城こても、先は君公には大樹御身近くを御警衞, ○三月十四日、米艦「マセドニアン」、江戸内海ヲ去リ、小笠原島ニ向フ。同條參看スベ, 候内相認、とかく横道へのみ書ちらし申候、御推覽可被下候、以上、, ○正月二十三日津山藩主松平齊民・福井藩主松平慶永へ, 〔老中達〕, 福井藩、一番手人數ヲ品川御殿山, には、銚子と湊は決して油斷不相成候、以上、, ジク高輪〓警備地ニ出兵ス。, にて、御出軍は有之間敷、御人數, も右御旗本の御備にて可有御坐、尤鼻の先迄攻來候時ハ格別に候へ共、品川高輪邊へ御出張は有之〓敷候、たとひ御, し、早く申せば有志を湊川へ押出し、清忠等内まくこ控へ居候樣にては大變に御坐候ゆへこ御坐候、客來落かさなり, 出張候樣老〓等申候位にては、いゃ〳〵拙者は御側ハ離れ兼候と申御見議と繞こふまへ罷在候、是は筆紙ニ盡し難, 尚々大銃の〓彈丸硝石は、一ツツヽも御せり立可然、察する所御獻上後はおこたり候半奉存候、浦賀内海事起り候時, 松平越後守, 金子樣, 警備地ニ派遣ス。明日、津山藩、同, 正月廿三日、, シ。, 正月廿一日, 安政元年正月二十三日, ○東京帝國大學所藏本, 武藏國, 〓府沙汰書所載, 荏原郡, 當時三藩, 御一人, 警備肝要, 銚子及湊ノ, ニテ出陣ハ, ナカラン, 急登城ノミ, 二一四, 誠

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  • ○東京帝國大學所藏本
  • 武藏國
  • 〓府沙汰書所載
  • 荏原郡
  • 當時三藩
  • 御一人

頭注

  • 警備肝要
  • 銚子及湊ノ
  • ニテ出陣ハ
  • ナカラン
  • 急登城ノミ

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  • 二一四

注記 (33)

  • 1861,651,67,1479〓當分樣子になは、急御登城こても、先は君公には大樹御身近くを御警衞
  • 1039,741,93,2094○三月十四日、米艦「マセドニアン」、江戸内海ヲ去リ、小笠原島ニ向フ。同條參看スベ
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