『維新史』 維新史 1 p.455

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敢て幕府に上申しなかつた。, 寶暦六年, あつた。けれども伴内が之を藩廳に告げなかつたので、遂に何の表沙汰もなく、, と共に來航し、一昨年來クルムセに赤衣の外人數名居住し、番所を構へたことを, 名が猩々緋の衣を纏ひ、精巧なる細工を施した鑓並びに斧を携へて、國後島乙名, 知島・得撫島に越年した者のあつて、諸島の間を往來し、明和五年, 人の露人が得撫島の東浦ワニナウに居を構へ、臘虎を獵し、遂にアイヌ村民と爭, 報告に及んだ。松前藩廳が露人の南下して千島を往來せるを知つたのは此の, 然るに蝦夷地と内地との往來が繁きを加ふるに至つて、其の地の警報も亦内, 鬪を惹起した。斯くの如き動靜は凡べて松前藩の知る處ではあつたが、藩廳は, 露人が寄港し、理不盡にも蝦夷婦人三人を同伴し、石火矢を放つて退去した時で, 時である。其の後露人の千島に來航する者尠からず、明和二年より四年まで新, 三年を過ぎて寶暦九年, 松前藩士湊覺之進が又厚岸に至つた時、擇捉島乙, で、松前藩上乘役牧田伴内が厚岸に滯在した時、偶〻同所沖ノ島に, 露人の南下して其の異樣の姿を蝦夷地に現したのを、松前藩士の知つたのは、, には數十, 西暦一七, 五九年, 西暦一七, 西暦一七, 五六年, 六八年, に來る, 露人厚岸, 警報に對, する輿論, 第二章外警と國民の覺醒第一節蝦夷地經營と國策の一變, 四五七

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  • 西暦一七
  • 五九年
  • 五六年
  • 六八年

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  • に來る
  • 露人厚岸
  • 警報に對
  • する輿論

  • 第二章外警と國民の覺醒第一節蝦夷地經營と國策の一變

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  • 四五七

注記 (29)

  • 476,575,58,803敢て幕府に上申しなかつた。
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