『維新史』 維新史 4 p.163

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周旋者となつたのである。, 三長州藩保守派の擡頭, 々使者を派して、周旋を依頼せんとしたが、二藩共に幕譴を慮つて應じなかつた、, 此の外進んで長州藩の爲に周旋を行はうとする藩とてはなく、藝州藩が唯一の, 山口に至つた。尋いで經幹は、連日長州藩主父子と會し、藩内外の措置に就いて, 禁門の變起るや、忽ちにして長州藩追討の朝命は幕府に下り、幕府は征長總督, となつた。, 九月六日吉川經幹は岩國を發し、翌日徳山を過ぎり、藩主毛利元蕃と會し、八日, 藩主毛利元蕃に、長州藩主父子の恭順謝罪を勸告した。筑前藩の使者も亦山口, 協議したが、時に長州藩内の情勢は混亂を極め、從つて藩是は容易に決定しなか, に來り、長州藩の藩情を問うた。爲に長州藩は筑前藩に、徳山藩は宇和島藩に、夫, の使僧、等覺寺清崖・大隆寺晦巖が徳山に來り、, 此の頃宇和島藩主伊達宗徳, つたのである。, 遠江, 守, 遺使, 宇和島筑, 前二藩へ, 經幹山口, に赴く, 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情, 一六三

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  • 遠江

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  • 遺使
  • 宇和島筑
  • 前二藩へ
  • 經幹山口
  • に赴く

  • 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情

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  • 一六三

注記 (23)

  • 1200,574,59,744周旋者となつたのである。
  • 482,983,57,719三長州藩保守派の擡頭
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  • 1316,576,80,2274此の外進んで長州藩の爲に周旋を行はうとする藩とてはなく、藝州藩が唯一の
  • 972,578,74,2278山口に至つた。尋いで經幹は、連日長州藩主父子と會し、藩内外の措置に就いて
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