『大日本維新史料 編年之部』 2編 4 安政1年2月11日~同年2月23日 p.19

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はやし初候、舟中ニ而棺をかき揚る、追々異人上陸ス、一番鐵炮二人、次ニ三人、次ニ貳人、, 論十里二十里の遠路ゟ參り候ニ付、御觸左之通り、, 江戸ニて千八百五十四年三月六日卒、歳二十四, り、小船三艘ニ而、横濱村字矢戸と申處ヱ舟を着け、鐵炮方・樂人舟ゟ出候得は、陸地ニ而, 已來見物は勿論、彼方角要用有之候者も、遠慮可致候、, 二月十一日、黒船中病死の者有之候ニ付、願濟之上ニテ、今日葬式有之候、其次第左之通, ノ時分、大洋中ニて死ス、右死骸ヲ持來り、日本ニて二月十日應接濟之上とて病死之由願, 船碇泊已來應接迄、異人葬式等追々道路之風説種々有之、見物之者群集いたし候間、横濱, 〔亞墨理駕船渡來日記〕, 出ル、右に付、塔婆ノ銘に、海軍隊ノ役人スヽスミシスツビノ遺骸ヲ埋所ノシルシ、日本ノ, 近邊無用之者往來御差留ニなり、後々ニは神奈川宿の臺、又は生麥村之松原邊、江戸は勿, 今般異國船渡來願之筋有之、神奈川沖ニ碇泊致し有之候付、見物ケ間敷者も有之趣聞候、, 先達な二月十一日ニ葬禮ノ異人ノ塔婆ニも三月六日トアり、是は正月三日乍甫ノ湊出帆, は蘭字ニて記し有之、別ニ記す、棺は, は蘭字ニて記し有之、別ニ記す、棺はま淺黄ノ打敷掛ケ持參り候、十二日、異國, 〓「〓淺黄ノ打敷掛ケ持參り候、十二日、異國, トアり、日も日本トハ二日計違イ, アり、少し間違アり、改て記す、, 略、, ○中, 寸, 葬式ノ次第, 安政元年二月十一日, 一九

割注

  • トアり、日も日本トハ二日計違イ
  • アり、少し間違アり、改て記す、
  • 略、
  • ○中

頭注

  • 葬式ノ次第

  • 安政元年二月十一日

ノンブル

  • 一九

注記 (24)

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