『大日本維新史料 編年之部』 3編 2 安政5年2月 p.402

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決心面に表はる、侍臣等逡巡して進まず、公即ち疾走し、ゆく〳〵詩を吟じて云く、, 〳〵喜連川の使者、公を奧州白川口に見出て、誘ひ還りて別邸に居らしむ、この時細川家より使者、遠山三右衞門を遣は, つて深く謝する處あり、程なく江戸に著し、兩家協議の上、公は〓症病によりて、出府療養を加ふる旨を幕府に屆け、尋, いで、双方熟議の末、離縁願書を出すことゝなれり、, 思へば、肥後大藩の公子、曩には數百人を率ゐて下國せしに、今單身一劒を横たへ、決然家を出で、天下の事を以て己が, し、祖母連性院の内旨を諭し、江戸龍口邸に迎へ入れしむ、程なく喜連川左馬頭は手づから書を裁し、家老黒駒能登を遣, 喜連川家よりは、急使を江戸細川家に送りて、事の旨を告ぐ、細川家にても大に驚き、直に人を派して公を搜索す、たま, て書を作られしに、千言直に成りぬ、侍臣等皆驚かざるはなかりき、, 任とし、以て區々の情實を絶たむとす、その材器素より非凡ならずしては、いかで此のごとくならむ、公はこの時已に決, りといふ、, さても、喜連川家にては、多年囑望して公を獲、我が繼嗣たらしめむとせしに、事意外に馳せ、今は如何ともする〓能は, はして、龍口邸につき、面〓を請はしめしも、公疾と稱して相見ず、家老即ち、左馬頭への覆書を請ふ、公即坐に筆を執り, ず、この時、越中守齊護公は、熊本を發して數里なる山鹿驛に在り、變を聞て大に驚き、侍臣を急發せしめ、喜連川家に向, 公民家の状態のたゞならざるを悟り、直に出でゝ又途に上る、果して侍臣等數人、公の跡を尾して來り、之を途に要して, 復歸を勸む、公大に怒り、路傍の樹を楯とし、刀を按じて、「汝等何が爲に來る、若し我に近かば、一刀兩斷せむのみ」と、, 心あり、「若し累の父越中守に及ぶあらば、一死を以て之を謝せむ覺悟なりき」とは、後に自から語られたりしところな, 曩に、公は、九歳にして熊本を出で、喜連川家に入りしこと凡そ九年、今再びその家を出でゝ本家に復歸せらるゝに至れ, 雲脚遠連山脚低、青苔樹在杏花西、, 行人不識英雄意、斜日蕭々杜宇啼、, り、この間の苦辛、實に名状すべからざるものありしが、この困難は、即ち後日公を玉成せしめし本となりき、略, デ江戸熊本, 川ニ歸リ尋, 藩邸ニ滯留, 良之助喜連, 川ヲ離レ本, 家ニ復歸ス, 良之助喜連, 安政五年二月十七日, 四〇二, 安政五年二月十七日

頭注

  • デ江戸熊本
  • 川ニ歸リ尋
  • 藩邸ニ滯留
  • 良之助喜連
  • 川ヲ離レ本
  • 家ニ復歸ス

  • 安政五年二月十七日

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  • 四〇二
  • 安政五年二月十七日

注記 (30)

  • 1705,634,52,1534決心面に表はる、侍臣等逡巡して進まず、公即ち疾走し、ゆく〳〵詩を吟じて云く、
  • 1357,634,57,2224〳〵喜連川の使者、公を奧州白川口に見出て、誘ひ還りて別邸に居らしむ、この時細川家より使者、遠山三右衞門を遣は
  • 492,645,54,2216つて深く謝する處あり、程なく江戸に著し、兩家協議の上、公は〓症病によりて、出府療養を加ふる旨を幕府に屆け、尋
  • 405,651,44,948いで、双方熟議の末、離縁願書を出すことゝなれり、
  • 1011,636,55,2218思へば、肥後大藩の公子、曩には數百人を率ゐて下國せしに、今單身一劒を横たへ、決然家を出で、天下の事を以て己が
  • 1271,639,58,2217し、祖母連性院の内旨を諭し、江戸龍口邸に迎へ入れしむ、程なく喜連川左馬頭は手づから書を裁し、家老黒駒能登を遣
  • 1442,637,57,2218喜連川家よりは、急使を江戸細川家に送りて、事の旨を告ぐ、細川家にても大に驚き、直に人を派して公を搜索す、たま
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  • 1186,640,55,2215はして、龍口邸につき、面〓を請はしめしも、公疾と稱して相見ず、家老即ち、左馬頭への覆書を請ふ、公即坐に筆を執り
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  • 1981,752,44,379安政五年二月十七日
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