『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.195

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とかや、, かは、中川家に歸ら〓、御養生有けれ共、全快し給はす、殊に良正院殿御入輿, 公と御合葬有ために、備前へ御改葬の事を、中川家と議し給ひけれ共、許容, 清秀乃御女なり、御産後御血おさまらす、御ものくるはしく渡らを給ひし, ありけれは、かた〳〵中川家におはしけるか、元和元年十二月廿二日、豐後, ひ、徒頭津田某に嫁けるか、これを離別せし故、福照院殿内訴に心ひかれ、津, 〓かりし、され共岡にても、新に詞堂作。春秋其外諸事、儒禮を以て祭られし, と云、備前乃廟にも、神主御安置なり、國清寺、曹源寺ともに御位牌あり、, 田か事、よからぬ樣に烈公に物語有、烈公至孝の心にたはしませは、さから, 成長の後、武藏守利隆公、御法名興國院殿乃御事也、御母公は、中川瀬兵衞尉, 土宗西光寺に葬奉る、中川家こては天龍院殿と唱ける、烈公の御時に、國清, 國乃城にて逝去あり、御法號大儀院殿湖山明鏡大姉と申、同國大野木村淨, はせたまふ事はなしといへとも、漸いさめ給ひ、御請入おはしまさゝりし, 〔藩史別録〕福照院殿の臣市川某り女、幼稚より福照院殿不便の者にし給, 〔池田家履歴略記〕十六修養林寺, 内訴, 福照院ノ, 元和二年六月十三日, 一九五

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  • 内訴
  • 福照院ノ

  • 元和二年六月十三日

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  • 一九五

注記 (19)

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