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東鑑、爲重に作り今乃呈譜、或安藝守に作り、殖野を稱すといふ、, 文治五年、泰衡征伐乃とき、兄爲宗とゝもに戰功あり、某年卒す、綱村かとき、念山道正持國, 實綱, るに、朝宗の呼名法名をよひ義廣の卒の年月を混す、よりて今乃呈譜にしたかふ、, 寛永系圖に、中村常陸入道、法名念西、滿勝寺に作り、康元元年十月二日卒すといふ、按す, 朝基, 院と追號す、, かひ、創をかう名〓、高名をあらはす、, 爲行, 延嚴, 文治五年八月、兄資綱とゝもに、石那坂そをいて戰功あり、創をかうふる、建暦二年六月七, 常陸國中村乃圧を領す、文治五年八月、泰衡征伐のとき、伊達郡石那坂そ裘いて敵とたゝ, 資綱, 母は結城氏の女、, 延嚴權少僧都, 常陸三郎藏人, 爲家常陸四郎左衞門藏人, 爲家, 日、鎌倉にのりず、侍所に宿直せるのとき、荻生右馬允某と爭論し、刄傷に及ふにより、佐渡, 建長五年十月二十三日、鎌倉御所小侍番帳に入、, 伊達郡伊達崎村に住するつゆへそ、伊達崎と稱し、乃ち田手と稱す、, 八郎, 六郎, 伊達郡伊達崎村に住するつゆへそ、伊達崎と稱し、乃ち田手と稱す、, 權少僧都, 國に配流をられ、乃ちめしかへさ御、, 東鑑、右衞門尉に作る、, 日、鎌倉にのりず、侍所に宿直せる乃とき、荻生右馬允某と爭論し、刄傷に及ふにより、佐渡, 出雲守, 〓常陸四郎左衞門藏人, 建長五年十月二十三日、鎌倉御所小侍番帳に入、, 附録, 五六八
割注
- 八郎
- 六郎
- 伊達郡伊達崎村に住するつゆへそ、伊達崎と稱し、乃ち田手と稱す、
- 權少僧都
- 國に配流をられ、乃ちめしかへさ御、
- 東鑑、右衞門尉に作る、
- 日、鎌倉にのりず、侍所に宿直せる乃とき、荻生右馬允某と爭論し、刄傷に及ふにより、佐渡
- 出雲守
- 〓常陸四郎左衞門藏人
- 建長五年十月二十三日、鎌倉御所小侍番帳に入、
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- 附録
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- 五六八
注記 (33)
- 1804,789,48,1503東鑑、爲重に作り今乃呈譜、或安藝守に作り、殖野を稱すといふ、
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