『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.583

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ちにかの城にうつり住す、九年三月、東照宮御上洛のすいず、伊豆國〓海の温泉にいら, 月台徳院殿より暇たてはりて、領國にかへる、これよりさを仙臺城營作成により、た, 宿に渡御あり、政宗途中に出てむか〓〓てまつ〓、營に乃不るのとき、久國の御刀をたま, 秀宗を證人としず江戸におもむつしむ、八年二月東照宮將軍宣下御拜賀に供奉し、八, くとて、江戸にいたるのところ、台徳院殿よリ上使榊原式部大輔康政を下され、即日旅, 御刀御脇指等を拜賜す、七年伏見にあるのあひた、本多佐渡守正信か申む手に及のせ、男, ふ、六年武藏國〓玉郡久喜にをいて百村餘の鷹場を〓はふ、これよ〓のち、參府をよひ歸, 城郡千代城を再興せんとて、繩張をはしめ、仙臺とあらたむ、この年小肩衝の茶入を〓, ひ、また時服百領、夜衣十領をたまふ、しか乃みれらす家臣等も營中にをいて宴戊〓まひ, さる伐はかりて、兵をおさむ、二十四日東照宮より御書をたまひ、〓上の援兵及ひ桑折, をくるへきむ手仰ありはれは、すなはち彼地に〓ろはし、これを衆に示す、九月伏見に赴, つらにとて、伊達上野政景をして出陣をしめ、のち村越直吉今井宗薫に就て、書翰をもて, の戰功を賞せられ、か〓明年乃春はすみやかに景勝を御征伐あるへきのあひた、聊余乃, へきのよし仰をかうふる、十月五日〓上の敵敗北乃告をきゝて景勝か所領伊達郡國見, 國乃途中、かの地に放鷹する事しは〳〵なり、後南部にをいて一揆蜂起すたにより、士卒, 追ず福嶋城の虎口にい〓り、梁川城をもあはせて攻〓しとい産とも、と〓乃よあしから, 山に出陣し、六日朝霧ふかきに乘し桑折にすゝみ、戰をはをまし、敵兵あまた討取、逃おを, を得さしめは、其軍も死傷おほかるへし、費に乘しず、我兵兼續を討、また〓上をも合せは, これを言上す、十五日御書を〓リひ、美濃國關原にをいて御一戰乃ところ、敵兵悉敗軍し, をやりて悉討〓むら〓、得るところ乃首百六十餘の鼻をきりて献せんとをしに、南部に, こはしむ、政宗諾して兵を出さんとす、ときに片倉景綱申〓おは、フ上を捨ず兼續に勝利, たゝちに佐和山に御馬をすゝめられ、大垣も落城にをよへり、其表の事緊要にはからぬ, は常に不快たりとい〓とも、一〓東照宮乃御〓め、一は我母〓上に在、その議しかるへ, 直江山城守兼續と戰をいず見、しは〳〵利を失ふにより、男修理大夫義康をし〓援兵を, 振舞なすへからさしのよし仰下さる、十二月二十四日、先に請て御ゆるしあるにより、宮, 大津乃居城に籠り防戰す、なを政宗も其地の處置怠るへつらさお乃よし、御書を〓まふ, この月政宗桑折に兵を出さんか〓め、北目の城にある乃ところ、〓上義光上杉景勝か臣, 景勝を亡さむ事たやすつるへし、〓上は援之おをなの〓といふ、政宗おもへらく、義光と, 附録, 五八三

  • 附録

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  • 五八三

注記 (30)

  • 264,702,48,2111ちにかの城にうつり住す、九年三月、東照宮御上洛のすいず、伊豆國〓海の温泉にいら
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