『大日本古文書』 幕末外国関係文書 16 安政4年5月~同年7月中旬 p.448

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ンヒと申所より出帆致し, ケ申聞候ニは當島は兼面同人儀周廻悉く一見いたし置、丑年九月中、クシ, シ、當地之樣子國王え申立置候處、此度改ロタノスケ命令を請、國許カラカ, 命ニ仍而當島え罷越し、日本國う魯西亞う之堺を定めんために渡來致し, 參り候蒸氣船を以、長崎表え申遣し、日本國王え我國王より書翰を呈し候, 名或は來意之次第、荒増聞取相答候儀、左ニ申上候、, 積申聞候なれとも、欠乏の品有之歟、又は漂流船等ニ候はゝ、上陸不苦候得, 共、最初斷もなく假小屋取建、諸木を伐取候儀は如何之旨、再三申聞候得共、, 候旨相答、私とも兩人え、名札之由ニ〓相渡候間、請取置申候、尚又ロタノス, 小屋建置候上、猶王命を請て後、彌國境を〓よ相定メ申度、其段は今我か乘, 文横文字之御書付爲見候處、逸々熟覽はいしし候得共、更ニ難悟樣子ニ付, ユンコタンえ入港いしし、同所え陳營をも取建候處、翌年引上、一ト先歸國, 一國名は魯西亞國、船名アメリカ、船將ロタノスケ、乘組人數三十八人、今般王, 蝦夷通辯を以、召連候番人を以爲承候處、彼ものとも蝦夷言大凡辨へ居、國, ナヱヲロは地の利も宜敷、當村え假, 難聞取、王命ニ仍無據由、殊ニ當秋ニ至り候得は、本國より又候爰許え大船, 出帆年月は, 聞取かたし, 定センカ, 爲メニ來, 國境ヲ協, 書ヲ呈セ, 皇帝ノ親, キテ露國, 長崎ニ行, ントス, 安政四年六月, 四四八

割注

  • 出帆年月は
  • 聞取かたし

頭注

  • 定センカ
  • 爲メニ來
  • 國境ヲ協
  • 書ヲ呈セ
  • 皇帝ノ親
  • キテ露國
  • 長崎ニ行
  • ントス

  • 安政四年六月

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  • 四四八

注記 (28)

  • 728,622,57,761ンヒと申所より出帆致し
  • 1079,607,58,2212ケ申聞候ニは當島は兼面同人儀周廻悉く一見いたし置、丑年九月中、クシ
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