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にいふ中仙道美濃路と稱する、不破の關を經て洲股川をわたり尾張國えかゝる街道なり、, のために鎌倉えくたられ候時の道の日記にて候、爲氏もちんしやうのためにかまくらへ, ふしの山をみれは煙もたゝす、むかしちゝの朝臣にさそはれて、いかになるみの浦なれ, 東照宮御在城より以來の名なりと或はおもへるもの有、これにてその誤を見るへし、又, 川のしやうを爲家よりゆつりおかれ候を、爲氏たふくによりてわうりやう候を、そせう, 人は定家のよめ、ためいゑの御せんにて、きんたち五人まし〳〵候、はりまの國のほそ, 下向、兩人ともかまくらにてしきせられしそせうは、爲氏の方えは付られす候也、あふつ, ところにとゝまる、此所の大かたの名は濱松といひしといふ、濱松といへるは、, 國高宮と鳥井本の間にある村なり、又廿曰をはりの國おもとゝいふむまやをゆくといふ、, の街道、今とは異にして海邊を通し事明なり、又廿二曰こよひはひきまのしゆくといふ, おもとゝいへる、今考る所なし、その下にあつたの宮へまいりてといふをもてみれは、, 尼阿佛撰、阿佛藤原爲家の妻、卷末に、本云永仁六年三月一日書之、此あふつはうと申, いまの名古屋のあたりにや、又鹽ひの程なれはさわりなくひかたを行といふ、こは鳴海, 十七曰をのゝしゆくといふ所にとまるといふものは、今の北野村といふ所にして、近江, はあかもんゐんの四條と申人なり、爲相の母なりとしるせり、みやこよりの道は今の俗, 阿佛撰, 遊紀第一, 一五七
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- 阿佛撰
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- 遊紀第一
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- 一五七
注記 (18)
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