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藤浪記二卷, ふ、その然否をしらすといへとも、頗る和書をも窺たる人とおほゆ、, 名につき俗説の謬を正す、持統天皇の御宇に百濟王善光といふ人有、此人の事にやとい, ものゝ圖をあらはす、又同州須原の下、善光寺如來を負來りし本田義光といへるものゝ, 胡浦、詠倭歌所謂貯掛松之藤波、於袖裏爲未見之人、故取其風流名曰藤波記と、, 州板橋の驛よりしるしはしめ、濃州中津川の驛に終る、信州藪原の下、かんじきといふ, 中津川を出るより、大坂にいたりつくにおはる、江州大津よりは伏見街道をしるす、京, 滌吟心於琵琶之雲浪、積千餘里、累十餘曰、爲倭字之記二卷、而曰昔柿本太夫過越之多, 卷首、明暦のはしめのとし文月の末つかた、君の仰承りて津の國に登り侍りぬと、武, 之秋勤難波城之戍衞、路經北陸道、乃嘗笛吹之險、登木曾之棧、支旅枕於寢覺牀之松風、, ちといへともおのつから月を異にするものあり、是順路によるかゆゑのみ、, 飯塚正重撰、正重江戸人、大番士たり、寛文丁未竹洞野節跋に、吾友飯塚平正重、明暦, 下卷, 上卷, 寫本, 二册, 明暦年間大番, 士トシテ大坂, 野節跋, 寛文七年竹洞, 飯塚正重撰, 城ニ赴ク道ノ, 紀行, 遊紀第一, 一八三
割注
- 寫本
- 二册
頭注
- 明暦年間大番
- 士トシテ大坂
- 野節跋
- 寛文七年竹洞
- 飯塚正重撰
- 城ニ赴ク道ノ
- 紀行
柱
- 遊紀第一
ノンブル
- 一八三
注記 (25)
- 1710,655,71,399藤浪記二卷
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