『復古記』 復古記 5 明治元年閏4月26日 - 明治元年5月27日 p.672

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江戸屋敷も給り候まゝ、それへ成とも私家來を置、代香等させ度存く、しかし兩三年跡より月毎代香は勿論、年囘等總て代, 三條申され候まゝ、前文の通再歸り候趣を一通申入候方よろしくや、總てうち明け先の處は含ゐられ候樣頼候方よろし, ま、兩方にては六ケ敷や抔と申居く、私も其邊は何共見込無候へ共、三條所存は、假令上京候とも昭徳院殿墳墓の地に候, 定め候はゝ、其上にて京住と定め候かとも出來候半と存、家來共へも談し合候處、私申は尤には候へ共、再歸り候趣に致し, 有難存候、何分今度上京の砌は再東歸の樣致し度は候へ共、三條の處心配致しく、旬は當年にてもと三條申され候まゝ、, 合に思しめし候由承り候、もし〳〵住居の事に候はゝ、其趣朝廷より仰戴候はゝ重疊乍、是も上京の上に候はゝ猶さら, 先明春と願候心得に候、御滯留にて不都合乍、當地下々にては私居候間は安心乍、上京に成候はゝ跡は何と成候やも計難, し候半乍、實の處は誠に好不申、其邊は上京にて御相談申候半、差かゝり心配候は行幸の上、住居の所決心にて申上候樣、, 香に參らせ候事は、表方より差止候まゝ、當年は年囘に付嚴しく申立、やう〳〵參らせ候樣成事、しかしきまり付候はゝケ, 置、先へより當家よりそれを申立歸り候樣申出候節は、致し方無や、且又今度私諸事まかなひ定り候處、よほと手薄に候ま, くや、内々御相談申く、尤申上候以前に上京の節は留主の者殘し候事、當表へも談し候積りに候、實は表方にても兩方に, 樣已にも無候や乍、只今の樣子にては京住に候とも、さのみ替り不申候、しかし京住にては後世人口にもかゝり候樣にては, まゝ、終には當地に住候はゝ、後世迄恥候所無と申され候由、中將殿より承り居候まゝ、かた〳〵此儘歸京の樣とは申出し, 殘念の事、當地人きも實に皇威立させられ候御時節に候はゝ、自然に段々和らき候半、左候はゝとくと見定め再下向も致, てはこまり候半乍、此儘歸京の樣とは申出し兼候事、承知の事と存し、去乍先達ふ通の大名の所に私居候事於名義不都, 通行幸の上申上、三條へも申候半やと存たく、上京の上三四年、但五六年も逗留と仰出され戴、當地の形勢竝に人きを見, 抔と申、心配の由にも承りく、鎭將府も置れ、御仁政を施され候へ共、とかく疑多き氣風にてあやふみ居候まゝ、かた, 兼候事、又前文の次第三條へうちあけはなし候ては、何か名聞已にて實意薄くと存られ候半、それも殘念の事うち明不申, は、三條も何れ歸り候事と存られ「候」先々にて不都合に成候やと、其邊心配致しるく、假令京住に成候とも當地へは徳河家, 復古記卷九十二(上)明治元年五月二十七日, 六七二

  • 復古記卷九十二(上)明治元年五月二十七日

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  • 六七二

注記 (21)

  • 1197,368,70,2600江戸屋敷も給り候まゝ、それへ成とも私家來を置、代香等させ度存く、しかし兩三年跡より月毎代香は勿論、年囘等總て代
  • 760,365,67,2599三條申され候まゝ、前文の通再歸り候趣を一通申入候方よろしくや、總てうち明け先の處は含ゐられ候樣頼候方よろし
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