『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.357

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

に、行明元服より薨じ給ふまでは、廿年ばかり星霜をへたり、猶いはゞ、榮, なり給ふよしあれど、今の家集といふもの、そのかみの集にや、跡より物, 花物語根合の卷, は、十にもたらでなくなり給ふにたがひ有るまじく思ふは、紀略による, つかへて、みこをうみたれば、日本烈女傳にのせざる、うべなりけり、, からず、されば此書をし、ひたすらには證となしがたし、又伊勢がうめる, 此かうがへを人にみせたるに、その人いふやう、家集にて、八ツにてなく, たま〳〵もれたるなり、行明の母といふは、誤とさだむべし、大和物語, したるか、さだかならず、行明の母とせんにも、さはり有るべしとも思は, の御のかきつけゝると有るところに、北村季吟注して、行明親王をうめり, 縣居翁は此注をあらためて、此院のみかどの男子をうみし故に云々とあ, り、さて伊勢は、宇多にもつかへてみこをうみ、宇多の御子の敦慶親王にも, れずといふ、おのれ答へて、紹運録に、宇多と醍醐と行明の母の名おなじ, に、亭子院のみかど、いまはおりゐ給ひなんとする比、弘徽殿のかべに、伊勢, といふは、紹運録の宇多の條を、一わたりみて記したるにてとるにたらず、, に、近江守實經の君のむすめ候ひけるも、おとこ, 活字本, 卅七ウ, 段、, 第一, ト爲リ御, 北村季吟, ノ謬説, 後ニ敦慶, 親王ノ如, ノ皇子漏, 子ヲ生ム, 天慶元年十一月五日, 三五七

割注

  • 活字本
  • 卅七ウ
  • 段、
  • 第一

頭注

  • ト爲リ御
  • 北村季吟
  • ノ謬説
  • 後ニ敦慶
  • 親王ノ如
  • ノ皇子漏
  • 子ヲ生ム

  • 天慶元年十一月五日

ノンブル

  • 三五七

注記 (29)

  • 401,690,61,2099に、行明元服より薨じ給ふまでは、廿年ばかり星霜をへたり、猶いはゞ、榮
  • 978,688,64,2106なり給ふよしあれど、今の家集といふもの、そのかみの集にや、跡より物
  • 288,682,59,479花物語根合の卷
  • 515,688,63,2095は、十にもたらでなくなり給ふにたがひ有るまじく思ふは、紀略による
  • 1214,625,58,1977つかへて、みこをうみたれば、日本烈女傳にのせざる、うべなりけり、
  • 631,691,64,2093からず、されば此書をし、ひたすらには證となしがたし、又伊勢がうめる
  • 1095,692,62,2103此かうがへを人にみせたるに、その人いふやう、家集にて、八ツにてなく
  • 1905,621,65,2042たま〳〵もれたるなり、行明の母といふは、誤とさだむべし、大和物語
  • 863,691,62,2095したるか、さだかならず、行明の母とせんにも、さはり有るべしとも思は
  • 1673,628,65,2173の御のかきつけゝると有るところに、北村季吟注して、行明親王をうめり
  • 1445,611,63,2186縣居翁は此注をあらためて、此院のみかどの男子をうみし故に云々とあ
  • 1326,622,65,2176り、さて伊勢は、宇多にもつかへてみこをうみ、宇多の御子の敦慶親王にも
  • 746,693,64,2099れずといふ、おのれ答へて、紹運録に、宇多と醍醐と行明の母の名おなじ
  • 1790,628,65,2176に、亭子院のみかど、いまはおりゐ給ひなんとする比、弘徽殿のかべに、伊勢
  • 1562,620,60,2201といふは、紹運録の宇多の條を、一わたりみて記したるにてとるにたらず、
  • 285,1399,58,1389に、近江守實經の君のむすめ候ひけるも、おとこ
  • 317,1186,43,184活字本
  • 271,1186,44,187卅七ウ
  • 1891,2690,41,46段、
  • 1935,2691,39,92第一
  • 1319,267,40,165ト爲リ御
  • 1718,268,43,168北村季吟
  • 1674,273,40,119ノ謬説
  • 1407,261,42,171後ニ敦慶
  • 1363,263,41,167親王ノ如
  • 1949,278,43,162ノ皇子漏
  • 1273,262,41,166子ヲ生ム
  • 187,688,43,380天慶元年十一月五日
  • 181,2396,47,124三五七

類似アイテム