『大日本史料』 2編 15 寬仁3年10月~4年7月 p.131

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像長二尺七寸、抑當寺は慶祚大阿闇梨の創する處なり、志賀寺の靈佛を迎へて本尊と, す、都鄙遠近の道俗〓仰する處なり、時あつて參詣群をなす、往還緇素の戴く笠相軋, 園城寺に幸して尾藏寺の龍雲坊に入らせ給ひ、祚か影像を恭禮し給ふ、祚か徳至れり, て或は破れ或は〓る、時の俗因て佛に寫して波津禮笠の觀音といひ、又呼て笠〓の觀, 廓の北、惣門をひらく、東の方八幡宮の馬場に通す、本堂東向、本尊十一面觀音、立, 慶祚塚尾藏寺にあり、一條院正暦四年秋八月、正寺座主の爭ひあり、慈覺・智證の, 〔近江國輿地志略〕, 兩門相華す、祚難を岩倉の大雲寺に避く、幾ならすして園城に遷り、尾藏寺の龍雲坊, 微妙寺關山の北のたれ、尾藏寺の西にあり、寺廓の北、惣門を開く、本堂東向、本, に棲止す、於是笈を負もの群集す、三井灌頂の中興たり、永暦四年四月、後白河法皇, と謂つへし、詳に新羅記・寺僧記・別所記・盛衰記・元亨釋書等に見えたり、, 音ともいふ、, 尾藏寺近松寺の北、微妙寺の東にあるなり、寺, 志賀郡八, ○中, 略, 十三, 略, ○中, 觀音, 尊ト爲ス, 尾藏寺ノ本, 佛ヲ迎ヘテ, 波津禮笠ノ, 志賀寺ノ靈, 慶祚塚, 寛仁三年十二月二十二日, 一三一

割注

  • 志賀郡八
  • ○中
  • 十三

頭注

  • 觀音
  • 尊ト爲ス
  • 尾藏寺ノ本
  • 佛ヲ迎ヘテ
  • 波津禮笠ノ
  • 志賀寺ノ靈
  • 慶祚塚

  • 寛仁三年十二月二十二日

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  • 一三一

注記 (28)

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