『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.696

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てゝ、牌前に向ひ禮をなし、御勘氣御免遊され下され候はゝ、有かたく可奉, より起るといふ、中にも監物は、其頃御勘氣を蒙りて、奧州松島に蟄居す、忠, 戰に大功ありてより、當國の守護を給はる、不幸にして早世也、同十二年三, 死古今ありといへ共、御當家御治世の後、別して此事盛なる事は、右の面々, 成、御供に被召連、忝次第に奉存候旨御披露被申、其跡に、親の和泉守罷出, 吉公の逝去を聞より、とりあへす江戸へ出て、彼の御菩提所増上寺にまふ, 月五日逝去也、御子なし、家臣石川主馬、稻垣將監、小笠原監物殉死す、本朝殖, に付、和泉守其段を方丈へ申達し、監物は落髮にて長上下を著し、太刀折, 紙を持參罷出候へは、存應和尚牌前へ向ひ、小笠原監物義、御勘氣御免被, 家康公の御子下野守忠吉公, 存とて、拜禮終りて退き、寺より銚子を出し酒をすゝめたり、其座に舊友津, 候へは、同しく存應和尚佛前へ向ひ、和泉守儀、世忰監物御勘氣御免被成, て、尾州名護屋を拜領し給ふ、薩摩守武勇人に越給ふ、慶長五年關ケ原の合, さかり候と也、監物か家人佐々喜藏と申者も、監物爲に殉死仕候由、, 御供に被召連、忝奉存候と申上、其夕方監物切腹致し候に付、右の棺もふ, 六拾萬石に, 〔治國壽夜話〕, 慶長十二年三月五日, ), と號し給ふ, 後に薩摩守, 三十, 九, 監物殉死, ノ状況, 六九六

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  • と號し給ふ
  • 後に薩摩守
  • 三十

頭注

  • 監物殉死
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  • 六九六

注記 (26)

  • 284,669,73,2213てゝ、牌前に向ひ禮をなし、御勘氣御免遊され下され候はゝ、有かたく可奉
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