『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.769

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は重寶なり、あちの物にしてはむつかしき嶮岨なり、坊主共、名僧も物知, に候、自今以後岩石其まゝさし置、道も平かにはつくるへからす、長野峠, の間に置せられ候は、上に御心あると, 奉察へし、下にも其覺悟すへし、津の城は合器程にて、嶮岨もなく不堅固, 入置へし、加太通りの道、岩をきり石をのけさせつくらせ候事、曲事千萬, 笠置峠も其心すへし、笠置は上方の大手なり、笠置寺こなたの物にして, 一國堅固にて、七口に功者なる鐵砲頭七人に、五十挺宛差置候はゝ、何の, 治なし候はゝ、麥米も出來、連々たくりへ置候はゝ兵粮に事缺へからす、, の平城なり、當分の休息所まてとおもふへし、伊賀は祕藏の國なり、よく, 氣遣も有へからす、事缺物は鹽計なり、目にたゝぬやうに、連々しほを買, の數郡御拜領、高二十二萬石、外下總三千石は元のことし、其年御入部、御, 門、奉行共を召被仰候は、尾州と紀州, 玉置覺書慶長十三年、伊豫備中の御知行を改めて、伊賀一國伊勢國中, 領下歴覽あそはし、伊州上野へ御著座、出雲、式部、新七郎、玄蕃、梅原勝右衞, 亡ひたり, 慶長十三年八月二十五日, 謹按、此に尾州紀州といへるは、今の, 〓は、後人臆了の説に出るならん, 尾州紀州をさせる如く見ゆ、されと, 此時紀州侯いまた遠江に在せし, ○中, 略, 笠置ノ要, 害, 鹽乏シ, 慶長十三年八月二十五日, 七六九

割注

  • 謹按、此に尾州紀州といへるは、今の
  • 〓は、後人臆了の説に出るならん
  • 尾州紀州をさせる如く見ゆ、されと
  • 此時紀州侯いまた遠江に在せし
  • ○中

頭注

  • 笠置ノ要
  • 鹽乏シ

  • 慶長十三年八月二十五日

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  • 七六九

注記 (27)

  • 277,757,61,2130は重寶なり、あちの物にしてはむつかしき嶮岨なり、坊主共、名僧も物知
  • 510,746,60,2154に候、自今以後岩石其まゝさし置、道も平かにはつくるへからす、長野峠
  • 1329,1753,57,1137の間に置せられ候は、上に御心あると
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