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長官として、西國の乃貢勘定の事をさへぬさねたり、, の如くなりしか、能保逝去ありし後は、親能ひとり政務を沙汰し、六波羅の, れは、在洛の間は、をのつから京都の成敗にもあつかりて、能保のさしつき, 其外にも佐々木、大内の輩なと、京畿の警備をつとむることにてはありし, るをもて、時政下向の時、代官として、北條時定を殘し置、武備をたすけられ, さて又藤原親能は、文治中、大江廣元と共に、殿闇修, 久元年、鎌倉殿、六波羅亭をもて、京畿の政所に定められしおり、能保の男高, 東下向のおり、全く京都守護の任に定られ、程なく時政をは召下されぬ、建, 事によかす、京都の大小事を媒介せしかは、鎌倉殿にも頼思はれしまゝ、關, し、もと能保は〓紳の家に成長せし人なる故に、武事には心もとなかりけ, 洛中警衞、按、洛中警衞は、將軍家の御家人たる輩、京師にありて、洛中洛外, 造の奉行となりて、上洛せしが、もとより鎌倉の家令にて、國政を奉る輩な, なり、, 能を、六波羅の留守に置れ、政事をは元の如く、能保に委〓られしなり、, 洛中警衞士のこと, 高能, は、建, は、次の條に辨せり、, ○下, ちミ之波羅殿よ居少しにはあらて、其近きあたeに私亭ありしなる, 略、, 〓〓〓次ぢる廳とな〓て、〓護の任にあたれる人ハ、其私亭に居〓しな, 久九年に卒去せり、其後は別に溜〓を〓置す〓りサ〓〓、〓〓〓〓有間政, 但、藤原親能は、六波羅家にあり由、吾〓〓、及洞島津本〓観〓ぬれ〓、を〓, 洛中警衞, ノ沿革, 文治二年三月二十三日, 二四六
割注
- 洛中警衞士のこと
- 高能
- は、建
- は、次の條に辨せり、
- ○下
- ちミ之波羅殿よ居少しにはあらて、其近きあたeに私亭ありしなる
- 略、
- 〓〓〓次ぢる廳とな〓て、〓護の任にあたれる人ハ、其私亭に居〓しな
- 久九年に卒去せり、其後は別に溜〓を〓置す〓りサ〓〓、〓〓〓〓有間政
- 但、藤原親能は、六波羅家にあり由、吾〓〓、及洞島津本〓観〓ぬれ〓、を〓
頭注
- 洛中警衞
- ノ沿革
柱
- 文治二年三月二十三日
ノンブル
- 二四六
注記 (28)
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