『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.757

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んには、猶不退とも、渉旬月なと、しか日あさくはいはれましき事なるをや、, 畢竟上文のことく、諸方の官軍不競して、參洛遲々に及しに依たる事そと, 都、渉旬月とは、尊氏卿五月末より、九月迄、三四月か間、東寺に御在陣あるは, 庫合戰に、官軍討負て歸洛せしことをいひ、或城守而似怠慢とは、諸國之官, てありしかとも、はやく遷幸以前都を落て、其家人さへ行方をしらさりし, 程の事なれは、かヽる綸旨を、行方もしれぬ惟時には、宛下さるへき事にも, 軍、御催促に應せすして、參洛せさるをいひ、就中九州士卒雖非無功績、各爭, 小敵と雄を爭て、是まて參洛延引したるをいひて、是らは何れも當時目の, 元年のものとするには、其證三ッあり、官軍等不一揆、或先驅而失利とは、兵, はあらされとも、尊氏卿の跡を攻て、たゝちに上洛すへき事なるを、隣國の, いふ迄なり、もし此事、翌年の九月になりて、吉野より出されたる綸旨なら, あらす、この綸旨、たゝ月日のみありて、年紀をしるされさるを、今定て延元, 雄參洛遲引云々とは、阿蘇菊池之者共か、尊氏卿に降らさるは、功績なきに, た行在へは聞食知らせ給はさりしと見えたり、此をり父の惟時は在京し, あたりの事情にて、翌年にわたりたる事にあらす、是一、依之凶徒猶不退帝, テノ考, 綸旨ノ年, 紀ニツキ, 延元元年九月十八日, 七五七

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  • テノ考
  • 綸旨ノ年
  • 紀ニツキ

  • 延元元年九月十八日

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  • 七五七

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