『大日本史料』 4編 7 建仁元年4月~3年12月 p.685

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

山の坊名、, しみにはあらてはる〳〵と京迄切にのほり棹かな, 僧重源、伊賀國ニ新大佛寺ヲ〓建ス、, 〔伊水温故〕, 三尊の寶座自然涌出の石臺、獅子に牡丹を彫座の尊〳}, 本堂七間四面に二間半の二層、苫蓋四方へ出な、, 五寶山新大佛、富永村、, 伏見より雄長老の許へ、旗竿をもらひに使者を遣られし時、狂歌、呉竹のふ, 四ツ割にして垣とするを建仁寺といふ、近き〓ゝ見えて、物にもしるさず、, されども、此寺もとよりよき竹有しと見えて、醒睡笑唯有といふ條、長岡殿, 當國高野産生、姓阿波俊乘坊重源、建仁二年に開基也、俊乘坊き山州醍醐, 本佛阿彌陀、長二丈五尺、立像、三尊共木像石座、, 藥師は紺瑠璃の壺を所持、觀音捧法華、, 建久元年に南都大佛殿造畢す、其明な建久二年より, 左觀音大士、長二丈五尺、立像, 左藥師如來、長二丈三尺、立像、, 又思ふに、雍州府志に, ○三國地誌二, 忽竹建此比竝爲垣ト, 冬山田郡, 丈三尺ニ作ル, 異に垣のさまもかはるなれと、建仁寺垣ものに見えざれは試に云なり、, 此坊ニ而, 有り、忍竹を建るを省きて、建忍などされ〓に云たるにはあらぬかし、竹も, 中村ノ郷, 學ふ、, 冬, 建仁寺垣, 建仁二年是歳, 六八五

割注

  • 又思ふに、雍州府志に
  • ○三國地誌二
  • 忽竹建此比竝爲垣ト
  • 冬山田郡
  • 丈三尺ニ作ル
  • 異に垣のさまもかはるなれと、建仁寺垣ものに見えざれは試に云なり、
  • 此坊ニ而
  • 有り、忍竹を建るを省きて、建忍などされ〓に云たるにはあらぬかし、竹も
  • 中村ノ郷
  • 學ふ、

頭注

  • 建仁寺垣

  • 建仁二年是歳

ノンブル

  • 六八五

注記 (30)

  • 238,702,58,280山の坊名、
  • 1537,624,59,1572しみにはあらてはる〳〵と京迄切にのほり棹かな
  • 1286,530,80,1154僧重源、伊賀國ニ新大佛寺ヲ〓建ス、
  • 1157,586,103,332〔伊水温故〕
  • 590,627,64,1838三尊の寶座自然涌出の石臺、獅子に牡丹を彫座の尊〳}
  • 473,700,62,1433本堂七間四面に二間半の二層、苫蓋四方へ出な、
  • 1179,1418,62,971五寶山新大佛、富永村、
  • 1650,621,66,2214伏見より雄長老の許へ、旗竿をもらひに使者を遣られし時、狂歌、呉竹のふ
  • 1887,623,65,2225四ツ割にして垣とするを建仁寺といふ、近き〓ゝ見えて、物にもしるさず、
  • 1768,632,68,2207されども、此寺もとよりよき竹有しと見えて、醒睡笑唯有といふ條、長岡殿
  • 356,699,64,2145當國高野産生、姓阿波俊乘坊重源、建仁二年に開基也、俊乘坊き山州醍醐
  • 943,622,61,1438本佛阿彌陀、長二丈五尺、立像、三尊共木像石座、
  • 708,694,61,1226藥師は紺瑠璃の壺を所持、觀音捧法華、
  • 243,1274,59,1571建久元年に南都大佛殿造畢す、其明な建久二年より
  • 827,766,57,928左觀音大士、長二丈五尺、立像
  • 1061,772,59,927左藥師如來、長二丈三尺、立像、
  • 1572,2219,43,606又思ふに、雍州府志に
  • 859,1713,45,401○三國地誌二
  • 1525,2222,45,603忽竹建此比竝爲垣ト
  • 1207,997,44,322冬山田郡
  • 815,1714,42,399丈三尺ニ作ル
  • 1400,633,51,2146異に垣のさまもかはるなれと、建仁寺垣ものに見えざれは試に云なり、
  • 271,1001,40,253此坊ニ而
  • 1443,626,54,2200有り、忍竹を建るを省きて、建忍などされ〓に云たるにはあらぬかし、竹も
  • 1161,991,45,260中村ノ郷
  • 225,995,43,126學ふ、
  • 1205,992,47,38
  • 1887,253,46,169建仁寺垣
  • 133,698,47,264建仁二年是歳
  • 142,2434,42,122六八五

類似アイテム