『大日本史料』 5編 1 承久3年7月~貞応2年5月 p.66

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思ヒヤレ憂身ヲ三保ノ浦風ニ泣々絞ル袖ノ雫ヲ、, 佛谷寺淨土宗龍海山ト云, 頃に御拜を遂られ、勅願の數々法施等の御沙汰あり、斯て、興隆の功をなす, ひ、隱岐國へ玉駕を遷さしめ給ふ折から、此所を過させ給ふに、厘輦おのつ, るよし、奏問有しかは、大に愕かせ給ひ、且は其威靈の劫きを御信感有て、念, し召、此あたりに貴き神佛のおわすやと勅問有しに、其時の住侶快傳法印, なくて、星霜を經るうちに、おのつから荒廢の地となりしを、人皇八十四代, から駐りて、駕輿丁の踵、地に吸はるゝか如くなりけれは、上皇不思議に思, 順徳天皇の御宇承久三年辛巳、後鳥羽上皇、北條義時の爲に襲はれさせ給, ニ皇居ヲ定メラレタリトカヤ、此事ハ今ニ古老ハ聞傳テ知タル人モアリ、, 寺を落成せり、, 覺〓の造れる觀音一〓、及ひ不動の像、鎭守辨才天善女龍王なとの小祠あ, 後鳥羽院、隱岐ノ國へ遷幸ノ時暫ク寺中, へきよし、快傳法印へみことのり有しかは、頓て土木の功をつとめ、竟に一, 故ニ美保ト云、昔後鳥羽院、隱州遷島ノ時此浦ニテ、, 〔雲陽志〕, 下三保關風土記ニ曰、御穗須々美命生玉フ、此神坐ス, ○中, 島根郡下, ○下, ○中, 略, 略, 略, 遷幸途次, 遷幸途次, ノ靈驗, ノ行宮, 三保關, 承久三年七月十三日, 六六

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  • ○中
  • 島根郡下
  • ○下

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  • 遷幸途次
  • ノ靈驗
  • ノ行宮
  • 三保關

  • 承久三年七月十三日

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  • 六六

注記 (31)

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