『大日本史料』 5編 3 嘉禄元年是歳~安貞元年6月 p.849

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ともはへらさりけり、, 獅子丸、, ノ條ニ、延暦寺堂衆學生ノ爭ニ干與スルコト、建暦元年八月十九日ノ, 法印の牛なり、それもかへり遊の日、彼牛をかけられけるに、一條大宮にて, 條ニ、加茂祭見物ニ負傷スルコト、同二年四月二十一日ノ條ニ、清閑清, 條ニ、道法法親王ノ大北斗法伴僧ヲ勤ふルコト、建久七年五月十一日, もあらせすやりけれは、前途を達せられす、師子丸と申名牛は、すなはち彼, 白河法皇ノ六條殿八湯經供養ヲ勤ムルコト、同四年十二月十九日ノ, 石にはせかけて、車をうちかへして落車す、時にとりて、世のさたにて侍き、, かゝるほとに、承久に時うつり事變ぜし後は、天下いたくはな〳〵しきこ, もと尊長法印牛、彼法印兩度車を破て、落車名譽の駿牛なり、, る事に、法印御房かしきりに按察殿の車をぬかむとせられけれとも、ひま, 水兩寺ノ境界爭ニ干與スルコト、建保元年八月三日及ビ十一月十六, 今日幸尊長春日宅、, ○尊長、最勝講ノ問者ヲ勤ムルコト、文治二年五月二十四日ノ條ニ、後, 〔明月記〕承元二年四月廿三日, 越前, ○中, ○中, 略, 略, 牛、, 邸宅, 安貞元年六月七日, 八四九

割注

  • 越前
  • ○中
  • 牛、

頭注

  • 邸宅

  • 安貞元年六月七日

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  • 八四九

注記 (25)

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