『大日本史料』 5編 4 安貞元年7月~寛喜元年2月 p.229

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長樂寺ノ律師隆寛, リ、, き宿善やもよほしけん、浮生の名利をいとひ、安養の往生をねかひて、つね, に上人の禪室に參し、しきりに出離の要道をたつね申されき、はしめには, スモロ〳〵ノツミヲケテ、必ス來迎ヲカフリテ、彌陀ノ淨土ニ往生スルコ, トヲアラハシタルナリ、善導ハ導綽ヲアヲキテ、彌陀ノ願ヲ信ス、淨土宗ヲ, タル書、大小數卷粗世ニ行ス、彼等ヲヒラカハ、ソノコヽロサシハミツヘシ, 惱ノナカニモ本誓願ヲタノミテ、他力ヲハスレス、稱名ヲハスレサレハ、必, テ、往生ヲトケタルモノオホシ、惣シテ淨土ノ法ヲアカシ、念佛ノ義ヲノヘ, タテタマヘルヒトナリ、師ト弟子トノスヽメタマヘル旨一ツサマナリ、正, につらなりき、天台の法燈をかゝけ、叡山の領袖たりといへとも、しかるへ, 行正業タノムヘシ〳〵、疑事ナカレト已上、明訓ヲウケテ、無觀稱名ヲ行シ, テ、超世ノ弘願ヲ聞テ、難思ノ利盆ヲ信シテ、妄念ノ中ニモ稱名ヲハケミ、煩, 抑當世淨土ノ法ヲ談シ、念佛ノ行ヲタツルモノ、大半ハコレ律師ノ遺流ナ, 代の後胤少納言資隆の三男なり、範源法印の附法として、慈鎭和尚の門弟, は、粟田の關白五, 〔法然上人行状畫圖}〓, 〔法然上人行状畫圖}團十長樂寺ノ律師隆寛, 又號無我, 稱皆空, 四十, 法慈鎭ノ, 門弟, 範源ノ附, 源空ニ出, 安貞元年十二月十三日, 二二九

割注

  • 又號無我
  • 稱皆空
  • 四十

頭注

  • 法慈鎭ノ
  • 門弟
  • 範源ノ附
  • 源空ニ出

  • 安貞元年十二月十三日

ノンブル

  • 二二九

注記 (27)

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