『大日本史料』 5編 6 寛喜2年是歳~同3年10月 p.80

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ところにいゑぬ, す、仍たゝりおほしめす也との給、この時父母ことに信仰して、いまは山へ, 下向もとけす、いたつらにあかしくらすに、勸修寺の雅寶僧都聊ゆかりあ, 其後大明神仕者をつけて守護給、しかるに今他門にうつる、御本意にあら, なとせさせけるに、家中の少女に神託あり、其趣、我は榎本の明神也、春日大, 明神の御使にきたれる也、この童は當社一の鳥居の前にて託生せしかは、, のほすへからす、大明神へまいらすへきよしかけ申けり、そのゝち病たち, りて、この小童をこひうけけれとも、大明神にまいらせたるものなれは、御, かくて父ほとなく逝去して後、母一人のこりとゝまりて、思なから南都の, しく、つねは病にしつみあかしくらしける程に、ある有驗の僧を請て、護身, ゆるしなくては、他所へつかはしかたきよし申けり、さて母あいくして、南, にたてまつりにけり、そのゝちこの小童ことにふれて物あ, この子漸成人して、十四歳になりけるに、ことのたよりありて、青蓮院の座, す、又京へものほらすして、三十日かほと南都に經廻して、のち都に歸にけ, 主宮, り、, 繪アリ、略ス, ○コノ次ニ, ○コノ次ニ, 繪アリ、略ス、, 鳥羽院の, 第七宮, 寛喜二年雜載, 八〇

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  • 繪アリ、略ス
  • ○コノ次ニ
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  • 鳥羽院の
  • 第七宮

  • 寛喜二年雜載

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  • 八〇

注記 (24)

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