『大日本史料』 5編 7 寛喜3年10月~貞永元年6月 p.977

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

この御よにもなりぬれは、先師乃くちはてにしあとも、ふたゝひはるに, とひ申しあくるものなりとも、いつくのてらをもあなくり御はたある, ニ、かつはこそう正のあとの事なり、をもひらきぬ〓うに、りみにもおほ, ふく事なれは、ひんきにはしりるへきやうに申いれささをはし了はん, なたへもそのよし申たり、いよ〳〵ひとすちに、らみの御はからひをあ, 〓なるに、いまゝてそのはたなをれは、いよ〳〵なきをいるものなり、, あふへき時なりと、いさみよろこひく、門跡めん〳〵に万歳をいのりた, ゝかみの御はららひなる〓きよし、座主のらたへも申たりときこゆ、こ, しめさるへきにあらねは、をそれ〳〵返々も申あくるところなり、, 寺務職之以來、成賢門徒亡先途、失面目之條、縡舊于世上了、雖然門徒忽難抛, て了つれとも、いまにまゆをひらくふしなくて、かまくらにも、この事た, ひ〳〵申あくれとも、きふまくはそのはたなし、てらのよくなるをは、た, しくしるして、いそた實〓の御つかひをいまく、みさらるるきよしを、た, 寛元二年寺解云、凡成賢僧正入滅之後、背次第相承之傳來、賢海僧正俄自補, 寅云、宣陽門院に建長年中之申文り、依繋中略之、以古本書之、, 建長ノ申, 文, 貞永元年六月二十五日, 九七七

頭注

  • 建長ノ申

  • 貞永元年六月二十五日

ノンブル

  • 九七七

注記 (19)

  • 1410,713,59,2131この御よにもなりぬれは、先師乃くちはてにしあとも、ふたゝひはるに
  • 1640,712,60,2132とひ申しあくるものなりとも、いつくのてらをもあなくり御はたある
  • 715,721,58,2117ニ、かつはこそう正のあとの事なり、をもひらきぬ〓うに、りみにもおほ
  • 831,712,58,2130ふく事なれは、ひんきにはしりるへきやうに申いれささをはし了はん
  • 946,712,57,2128なたへもそのよし申たり、いよ〳〵ひとすちに、らみの御はからひをあ
  • 1528,712,55,2077〓なるに、いまゝてそのはたなをれは、いよ〳〵なきをいるものなり、
  • 1291,711,63,2134あふへき時なりと、いさみよろこひく、門跡めん〳〵に万歳をいのりた
  • 1066,717,56,2125ゝかみの御はららひなる〓きよし、座主のらたへも申たりときこゆ、こ
  • 601,706,55,2006しめさるへきにあらねは、をそれ〳〵返々も申あくるところなり、
  • 243,630,63,2211寺務職之以來、成賢門徒亡先途、失面目之條、縡舊于世上了、雖然門徒忽難抛
  • 1173,713,64,2132て了つれとも、いまにまゆをひらくふしなくて、かまくらにも、この事た
  • 1754,723,59,2120ひ〳〵申あくれとも、きふまくはそのはたなし、てらのよくなるをは、た
  • 1870,718,62,2127しくしるして、いそた實〓の御つかひをいまく、みさらるるきよしを、た
  • 362,628,62,2214寛元二年寺解云、凡成賢僧正入滅之後、背次第相承之傳來、賢海僧正俄自補
  • 481,775,60,1790寅云、宣陽門院に建長年中之申文り、依繋中略之、以古本書之、
  • 537,275,42,171建長ノ申
  • 495,276,38,35
  • 137,709,43,435貞永元年六月二十五日
  • 137,2382,43,124九七七

類似アイテム