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〔扶桑名畫傳, 内舍人兼康, 譬喩圖なりといへり、兼康繪本といふ、其の故を知らず、, ありて、御堂の障子十五間に、名所圖を畫きし事見え、建暦三年四月廿, 十四日、殿下屏風調進の事等あり、但其の後兼康朝臣とも、但馬守兼康, 六日、法勝寺塔供養に依りて、繪師兼康行事賞の事、又寛喜元年十一月, ともありて、右大將家の家司の由も見えたり、尊卑分脈に、醍醐源氏右, 子に、名所の圖を畫がくべき命を受けて、まづ其繪樣を圖し進らせし〓あ, 馬頭有長朝臣嫡男兼康、長門但馬等守、右馬頭從四位上とある人なり、, 補、古畫目録云、繪本一卷、兼康筆、栂尾高山寺子院北禪院藏, □年十一月廿三日書寫畢、實勝花押、白描にして畫力あり、蓋十二因縁, 春村曰、兼康は、建永二年五月十四日の明月記に、内舍人とも、宗内とも, 補、兼文曰、此の繪卷の奧に、兼康の名を記せり、故に兼康繪本といへり、, 躬行曰、予明治十年四月、高山寺に至り、此の卷の眞迹を見る、奧に□〓, 姓恐らくは宗岡氏、諱は兼康、内舍人なり、宗内と號す、建永二年新御堂の障, 高山寺聖教目録第一百一合、義湘元曉繪、能惠得業繪兼康繪、, 庶士, ○中, 在禪, 三十一, 堂院、, 略, 天福元年正月是月, 六五九
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- 庶士
- ○中
- 在禪
- 三十一
- 堂院、
- 略
柱
- 天福元年正月是月
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- 六五九
注記 (24)
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