『大日本史料』 5編 9 天福元年5月~嘉禎元年4月 p.630

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は、たゝ葬觀音寺と見えたる御陵にそ當るへた、さて上に引たる明月記の, 練抄に、文暦元年九月十日、丙午、故院五七日御佛事、北白川院御沙汰也、今日, つゝきの文に、萬事禮法甚以等閑、定又無御墓所沙汰等歟と見えたまと、百, といふことも見へたるにて思へは、此御陵にも、法華堂を建らまたりしこ, かたし、, 御隨身左近將監久清、奉爲先院、於法華堂修小善、諸卿參會と見え、また平戸, に葬觀音寺と見えたるによく合へりと、廟陵考補遺に説へるか如し、これ, 十五日, 記仁治三年四月十六日の條に、後堀川院法華堂前山も、庭狹故被引候キな, 明月記天福二年八月十一日, え、一代要記に、同十一日、葬東山觀音寺傍とみえ、編年集成、類聚大補任等に, 出テ、如去年ノ御路、〓勝光院ノ南ヲ觀音寺大路也、朝聞御土葬儀云々と見, の條に、今夕御路出北面、, 京都府山城國京都市下京區今熊野町, と知らまたるを、陵上に建られたりしか、又近傍の地に建給ひしか、今辨知, 〔陵墓一覽〕後堀河院天皇觀音寺陵, 月食、, 六條ヲ河原ニ, 御葬, 送、, 略, 辛, 己, 中, 文暦元年八月十五日, 六三〇

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  • 御葬
  • 送、

  • 文暦元年八月十五日

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  • 六三〇

注記 (26)

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