『大日本史料』 2編 6 寛弘4年12月~8年6月 p.86

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此邊紙屋川, 可被行、陽成院例宜歟、可被加其例用意也、十七日、戊申、花山院御葬送、大和寺, の記しさまは異なれとも、その實地は同しき處にて、事跡の違へるにはあ, たに、大和寺を圖たれは、則その東邊は法音寺の北方に當りたり、されはそ, の東邊と記させ給ける大和寺は、中古京師圖を檢るに、法音寺の西北のか, はかり前に土人切取て、今生たるはその蘗なりとそ、これ御堂殿記寛弘五, 紙屋とは、拾芥抄に、紙屋院、圖書別所、在野宮東と見えたる紙屋にて、大かた, 年の條に、二月九日、庚子、擧直申云、此夜半許花山院崩御、門外廣業朝臣來云、, 御陵のうへに、菩提樹一株生ひたり、この樹もとは古き大木なりしを、卅年, らされは、御堂殿記の文にも又よく相合ひたり、, の傍にありしなるへく、法音寺は今も法音寺屋敷と, 東邊云々、諸事同凡人、是遺誡也と見え、日本紀略に、同年二月十七日、戊申、今, 寺北と、日本紀略に見えたる文にいとよく合へり、また御堂殿記に、大和寺, 夜奉葬於紙屋上法音寺北とみえたる御陵にておはしますへき、さてこの, よへる田地これその舊跡にて、この御陵の南にあたれは、葬於紙屋上法音, 抑花山院崩、此間雜事、神事等如何、申云、依固物忌、不被參入、召他人被問先例、, 川といふ, 今はかい, 法音寺屋, 數, 寛弘五年二月十七日, 八六

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  • 川といふ
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  • 法音寺屋

  • 寛弘五年二月十七日

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  • 八六

注記 (22)

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