『大日本史料』 5編 10 嘉禎元年5月~同2年11月 p.29

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乃小倉百首をえらひ給ひし時雨の亭乃跡として、もはら彼卿をのみ齋, て蓮生寺を終焉乃地とせられしならん、彼寺に其塚あり、猶小鹽の南な, 此山莊をは爲家卿に附屬して、程ちかき下津林の蓮生寺にうつり、やか, るへし、蓮生は桂の下津林といふ所にゐられし也、親王のおはせし良峯, あるは、かしこくも上皇賊臣乃爲に遷され給ひし時の、累連乃御歎きな, へは、愛宕山白雲寺の末寺こゝに在しといへは、そ乃中院なるへし、そこ, きまつれるは、後のさろしられるへし、紀聞にいへる〓く、蓮生入道、後に, の東にして打向ひたり、其跡すれはち蓮生寺とて、今もかたはろりの庵, のせられし所なるへくや、其庵室の後園に、爲家卿乃墓碑あり、今定家卿, あり、またかの中院といふは、上嵯峨清凉寺の傍にて、今中院町といふ、古, に西山乃宮とも申せり、さて此詞書に、都に出て後歎く事侍りて云々と, ひて、吉水の宮と申す、また小鹽山なる良峯の花の寺にいませしかは、世, 羽上皇の第八皇子にておはせり、建仁乃頃御出家あり、青蓮院に入を給, に今厭離庵といふ禪室あり、此所蓮生の山莊にて、かの障子乃色紙形も, 覺親王と交はり申されし也、此入道親王は、もとは朝仁と申奉りて、後鳥, 嘉禎元年五月一日, 時雨ノ亭, ヲ爲家ニ, 附屬ス, 頼綱山莊, 嘉禎元年五月一日, 二九

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  • 時雨ノ亭
  • ヲ爲家ニ
  • 附屬ス
  • 頼綱山莊

  • 嘉禎元年五月一日

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  • 二九

注記 (22)

  • 614,676,62,2105乃小倉百首をえらひ給ひし時雨の亭乃跡として、もはら彼卿をのみ齋
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