『大日本史料』 5編 17 寛元元年12月~同2年7月 p.258

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空に出ぬ、くきか崎と云なるあら礒の岩のはさまを行過るほとに、沖津風烈しきに打寄, は、梶原か墓となむこたふ、, 我も又こゝをせにせんうつの山分て色ある蔦のした露, の鹽屋所々風に誘はれて、煙たなひけり、東路のおもひ出ともなりぬへきわたり也、, まては、かけても思はさりし旅の空そかしなと、打詠められつゝ、いと心ほそし、, 清見か關も過うくて、しはしやすらへは、沖の石、村〳〵鹽干にあらはれて波に咽ひ、磯, する波もひまなけれは、いそく鹽干のつたひ道、かひなき心ちして、ほすまもなき袖の雫, は、いそへによする波の音も、身のうへにかゝるやうに覺えて、夜もすからいねられす、, こよひは更にまとろむ間たになかりつる、草の枕のまろふしなれは、寢覺ともなき曉の, 猶打過るほとに、ある木陰に石をたかく積上けて、めにたつさまなる塚あり、人に尋ぬれ, 沖津風けさあら磯の岩つたひ浪わけ衣ぬれ〳〵そ行, この關遠からぬ程に、興津といふ浦あり、海に向ひたる家に宿りて侍れ, 清見かた磯へに近きたひ枕かけぬ浪にも袖はぬれけり, 寛元二年二月十七日, ○中略、天慶三年一二, 月二十日ノ條參看, 月八日ノ條參看、, ○中略、正治二年正, 清見關, 景時ノ墓, くきが崎, 興津, 寛元二年二月十七日, 二五八

割注

  • ○中略、天慶三年一二
  • 月二十日ノ條參看
  • 月八日ノ條參看、
  • ○中略、正治二年正

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  • 清見關
  • 景時ノ墓
  • くきが崎
  • 興津

  • 寛元二年二月十七日

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  • 二五八

注記 (24)

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