『大日本史料』 6編 5 暦応元年8月~暦応2年12月 p.227

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ぬ心ちして候、すこしもみちこゝろやすくなり候はゝ、のほり候て御けさ, かりニまいらし候、さしも入道の存生の時より、申承まいらせ候て候ける, して候けるよし承候程ニ、とつく申はかりなく悦入まいらせて候なから、, ゆゑニ、たかいの後も、一向御はからひニて、けうやうなともこゝろやすく, みち心ニまかせす候て、いまゝて御おとつれをも申候はす候へは、人なら, をもまいらせゑす候へは、あまりニ〳〵心もとなくおほへ候て、御したの, ち入て候へは、この物とも、みちにて思の外事候て、下候はす候へは、歎入て, ひしり二人やとい申候て、下部一人そゑ候て、御おとつれ申候はんためは, ふなたの入道なと下候はゝ、やろて人をもまいらせ候へき心地し候て、ま, 候、そのゝちことさらみちもなんちになりて候よし申候程ニ、いまゝて人, 薄ハアリ共、佛前佛後ノ導師、大慈大悲ノ薩〓ニ値遇シ奉ラハ、眞諦俗諦善, 樣ヲ見セシメテ、追善ヲ致サシメンカ爲ナリ、結縁ノ多少ニ依テ、利生ノ厚, 願ノ望ヲ達セン、今世後世能引導ノ御誓、タノモシカルヘキ御事ナリ、, 〔光明寺文書〓殘篇〕, ふきあけの□寺方丈御房あいらし候白河より, ○伊, 勢, (端書), 光明寺僧, 謝ス, ノ供養ヲ, 宗廣ノ妻, ヨリ伊勢, へ送リシ, 宗廣死後, 状, 南朝延元三年北朝暦應元年是歳, 二二七

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  • ○伊
  • (端書)

頭注

  • 光明寺僧
  • 謝ス
  • ノ供養ヲ
  • 宗廣ノ妻
  • ヨリ伊勢
  • へ送リシ
  • 宗廣死後

  • 南朝延元三年北朝暦應元年是歳

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  • 二二七

注記 (28)

  • 232,647,58,2201ぬ心ちして候、すこしもみちこゝろやすくなり候はゝ、のほり候て御けさ
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