『大日本史料』 6編 7 康永元年正月~康永2年12月 p.606

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やふれ候はゝ、是より小栗, ぬと存候、若さる事も候はゝ、中郡御城ふつとあるましく候、伊佐城も此城, 疎略之儀候、抑此兩三年間、御敵關御城迫て候、いまゝて御後迫なんと候は, まて御敵地たるへく候、さも候はん時は、伊, 城、西明寺當城, 佐より關大寶への出入、ふつととゝまり候へく候、其時は關大寶の御城も, こさかしなから如此事申候條、所詮御方を深御大事ニ存候間令申候、子細, す候間、此邊難儀無申計候、御敵躰此ノ間見候ニ、ことの外無勢に□りて候、, 可爲難儀候、此邊か樣ニ無子細候時、御上候はすは、毎事無正躰候ぬ、此御返, 今時分御後迫候はゝ、此邊にもあまた御方出來候ぬと覺候、是身ノ一族ニ, おき候ては、多分不可有子細候、其外他人之中にも通申輩候也、伊佐中郡御, 此僧可有御物語候、六七百騎之分にても、御上子細あるましく候、此段は能, 有子細候也、此兩三年のひらうに、當城御後迫けふあす候ハすは、やふれ候, 々御れうけんあるへく候歟、事々期後信候、恐々謹言、, 候へは、是へ御上候はんに、少々無勢ニ御坐候とも、不可, 事ニしたかい候て、しはらく可、今時分又延引候者、御方ニ通申御敵, ねとおほへ候、返々乍恐急束ニ御上候はん事、公私可目出□候、, (努力候カ〕, 壁郡, ○眞, 壁城, ○眞, (共かはり候)(ぬカ〕, ハ伊佐大, 寳ノ通路, 眞壁城破, ルヽト〓, 杜絶セン, 南朝興國四年北朝康永二年四月五日, 六〇六

割注

  • 壁郡
  • ○眞
  • 壁城
  • (共かはり候)(ぬカ〕

頭注

  • ハ伊佐大
  • 寳ノ通路
  • 眞壁城破
  • ルヽト〓
  • 杜絶セン

  • 南朝興國四年北朝康永二年四月五日

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  • 六〇六

注記 (30)

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