『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.661

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兵衞丞手に責られ、谷へころひ落くにくる、此競をもつて、右堺目の城九, 京指をかれ候、新城、湯澤、足柄山中はすく給ふ、さく極月蒲原の城へ取つ, れたるをきゝ、城の者共出候く、味方をくひとむる事は、中々れるまし、但, は、自餘乃者共にはちと違候間、城はあくましたと申す、だこにて信玄公, め、信玄公城内へ使をたて、此度北條家各傍輩ともなみに城をわたせと, の事になされ候はんと、廿人衆頭を先衆へ廻し觸らるゝ、其後又御中間, ある儀なり、北條新三郎返事に、いやしくも我等北條源庵かせかれなま, 頭衆をもつて〓れ給ふは、去十月上旬に、北條家乃者共、見ませにてうた, 家老共出ましき也、若は城より出て、味方をくひとむるとも、少もかまは, 北條新三郎、氏康、氏政より結句武邊甚しけまは、定而新三郎は被出とも、, 城を攻か〓たる躰にて、明日は先駿府の城〓取懸〓く候、此蒲原は重て, 條常陸、松田新次郎其外各也、歴々なり、中にも松田新次郎、郡内の小山田, 信玄公攻落給ひ、彼筋一圓御〓をあけ給ふ、深澤城御かゝへ被成、駒井右, 故、人數少〓ゝ置所に、信玄公御馬入とるにて城々へ人數を籠る、扨北條, 家各存知外、信玄公御出馬を聞、城をあけ悉敗北する、其人々芳賀伯耆、北, 迫ル, ケ城ヲ陷, 境目ノ九, 蒲原城ニ, 信玄北條, 氏ノ不意, ニ出馬ス, 中ニ向ハ, 伴リテ府, ントス, ル, 永祿十二年十二月六日, 六六一

頭注

  • 迫ル
  • ケ城ヲ陷
  • 境目ノ九
  • 蒲原城ニ
  • 信玄北條
  • 氏ノ不意
  • ニ出馬ス
  • 中ニ向ハ
  • 伴リテ府
  • ントス

  • 永祿十二年十二月六日

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  • 六六一

注記 (28)

  • 1530,708,61,2120兵衞丞手に責られ、谷へころひ落くにくる、此競をもつて、右堺目の城九
  • 1300,706,57,2120京指をかれ候、新城、湯澤、足柄山中はすく給ふ、さく極月蒲原の城へ取つ
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