『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.276

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人數方々押に御置なされ、定人數二萬内外御座候、此勢はかりをもつき、, 敵乃内に味方申者もなおに、信玄公より大身乃居城へ押詰、勝利を失ひ, 八月廿四日巳刻に、信玄公甲府を御立あり、小田原おもてへ赴給ふに、北, 給はん事、十乃物千にて候、信玄公當年四十九歳御座候く、跡強敵大敵に, 一度も負給はすして、利運に被成とる譽、皆水にあそはし候と、高坂彈正, あひさゝゆる、小山田兵衞尉、此働是非手柄を心懸候へはこそ、出陣前に, 條家もちの城々、二三のくるわ攻ちらしまおほくしそは、其城持分を燒, 内よりすくに武藏の八王寺へ働出、瀧山にをひて、出合申樣にと被仰付、, はらひ、又は少し手を付〓からすと被仰付、城〓もある事大方ひとつま, せ也、左候て、郡内乃小山田兵衞尉、武藏堺上野原に相備、加藤丹後を指置、, とつて申上候へ共、信玄公御承引なくて、郡内乃侍小山田兵衞尉には、郡, 兵衞尉手勢二百騎、雜兵共に九百乃人數をもつて、武藏の内源藏殿領分, 冨士淺間大菩薩へ願書をこめ候ほといさみとるしるしに、懸て一戰を, 條陸奧守殿兩おとな、布施、出羽、横地三百騎、雜兵共二千の人數をもつそ, 八王寺〓働出る、こほけ坂を打こし、物見を越候〓は、とゝりと云所に、北, 永祿十二年十月六日, 甲府ヲ發, 小山田信, 四日信玄, 茂氏照ノ, 八月二十, ストノ説, 兵ヲ破ル, 二七六

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  • 甲府ヲ發
  • 小山田信
  • 四日信玄
  • 茂氏照ノ
  • 八月二十
  • ストノ説
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  • 二七六

注記 (24)

  • 1809,699,66,2143人數方々押に御置なされ、定人數二萬内外御座候、此勢はかりをもつき、
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